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    大林の古里 熱い後押し<中>転校生

    • 「映画撮影は初めてで、自分が何をしているのか全然わからなかった」と振り返る大谷(尾道市長江の御袖天満宮で)
      「映画撮影は初めてで、自分が何をしているのか全然わからなかった」と振り返る大谷(尾道市長江の御袖天満宮で)

     「さよなら、あたし!」

     「さよなら、俺!」

     尾道を去る少年(尾美としのり)が乗ったトラックを、少女(小林聡美)が必死に追う。尾道水道沿いの海岸通りで撮影された「転校生」(監督・大林宣彦)のラストシーン。撮影から30年余りたったが、“ロケ地マップ”を手に映画の痕跡を探す人は多い。

     「坂道や神社の石段を、みんなで機材を持って上がってね。地元風に言えば『てごう(お手伝い)』ですね」。大林の生家に近い、喫茶店「茶房こもん」(長江)の経営者・大谷治(62)がロケの様子を語った。

     店でよく打ち合わせをしていた大林は、大谷に食器など同作の小道具の調達を依頼。大谷ら数十人の住民が撮影に協力した。「映画撮影なんて初めてで何が何だかさっぱり。でも、目標に向かって突っ走った一体感は忘れられない」

     米国の映画俳優を起用したテレビCMなどで話題だった大林。1981年夏、「転校生」は初めて故郷でロケする商業映画とあって、注目を集めた。

     だが、制作は苦難の連続。撮影2週間前に突然、スポンサー企業が降りた。思春期の少年少女の心と体が入れ替わるとの内容が、「下品」と否定された。

     何とか芸術系映画会社の融資を得て始まったロケも、順調ではなかった。主演の小林が石段を転げ落ちる場面で足を強打。接骨院に通いながら、演技を続けた。

     苦労続きの撮影を、尾道の人たちが支えた。市立土堂小から成城大(東京)まで、大林と同級生だった宇根本忠信(76)(尾道市三軒家町)は当時、同日比崎小PTA会長。子どものエキストラを募り、同小校庭を使う交渉にあたった。経営する仕出し弁当店は毎日、ロケ隊に食事を届けた。

     「穏やかだが芯のある大林君の、故郷で撮りたいとの思いに僕らも熱くなった」。宇根本はほほ笑んだ。

     ようやく完成し、迎えた住民向け試写会での反応は予想外だった。画面に描かれたひび割れた民家の土塀や朽ちた船着き場、刺激的なストーリーに、「町の汚いところばかり映っている」「観光客が来なくなる」と、上映中止の要望まで出た。

     だが、地元の声をよそに、劇場公開されると大ヒット。「どこか懐かしい風景」を求めて、町に若者が訪れるようになった。

     「尾道のしわを撮りたかった。母親の顔に思い出とともに刻まれる皺のような美しさを」。大林は振り返る。「『転校生』は、尾道の外の人には普遍的な心の古里と映ったのでしょう」

     資金難で結果的に、多くの住民と共に作り上げた同作は、撮影を住民や行政が支援する「フィルムコミッション」の先駆けとなった。

     同作の撮影を手伝った大谷はその後、大林作品15本以上にスタッフとして参加している。

     「映画になった町に住めるなんて、とても幸せじゃないですか」(写真、文中敬称略)

     <尾道三部作> 「転校生」(1982年)のヒットを受け、大林宣彦はいずれも尾道ロケで「時をかける少女」(83年)「さびしんぼう」(85年)を立て続けに制作した。大林がその後、尾道で撮影した「ふたり」(91年)「あした」(95年)「あの、夏の日」(99年)は“新尾道三部作”と呼ばれる。新旧三部作とも、大まかなロケ現場の位置を記したマップが作られ、おのみち映画資料館(久保)などで配布している。

    2014年09月25日 05時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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