文字サイズ

    江戸期の学問所の志継ぐ

     ◇「益習の集い」代表 三宅玉峰さん(洲本市)

     明治維新から間もない1870年5月13日の洲本。徳島藩家老の稲田家家臣らが、藩主・蜂須賀家の家臣らから襲撃を受けた。稲田家家臣17人が死亡する「庚午こうご事変」。蜂須賀家家臣10人が切腹させられ、稲田家家臣たちは北海道へ移住を命じられた。両家の家臣たちの長年にわたるあつれきや、稲田家家臣らの独立の動きなどが原因とされる。淡路島は江戸時代を通して徳島藩だったが、76年、兵庫県に編入された。

    • 「友好が花開くのが楽しみ」と蜂須賀桜の成長を楽しみにする三宅さん(洲本市山手で)
      「友好が花開くのが楽しみ」と蜂須賀桜の成長を楽しみにする三宅さん(洲本市山手で)

     庚午事変では、稲田家の武道師範をしていた高祖父は襲撃を受けて自決、高祖母も負傷したという。

     自宅の寺に残る檀家だんか記録などで数年前から先祖について調べて始めていたが、ある時、事変で焼失した稲田家の学問所「益習館」の跡地が売却されるという話を聞いた。

     益習館は頼山陽ら秀れた学者を招き、学問への志があれば武士に限らず広く受け入れた。西郷隆盛や木戸孝允らも足を運んだといわれ、洲本市民の誇りとして大切にされるべき場所だった。

     2013年6月、「益習館の精神を受け継ごう」と市民団体「益習の集い」を設立。まもなく跡地は市に寄贈され、今春、市指定名勝・旧益習館庭園として公開された。

     「益習の集い」は昨年5月、庚午事変や北海道へ移住した家臣たちのその後などを紹介するパネル展を洲本市で開催。徳島県からの来場者も多かったことから、同9月、稲田家の屋敷があった同県美馬市でも開いた。開場と同時に駆け込んでくる人たち、家臣の名簿に先祖の名を見つけて歓声をあげる人たち……。偶然出会った初対面の家臣の子孫たちがパネル前で記念写真を撮る姿もあった。

     これらの活動は、今月、国瑞彦護国神社などでの「蜂須賀桜」の植樹につながる。負傷した稲田家家臣を助けるため、最後の藩主だった蜂須賀茂韶もちあきが救護所を設け、腕利きの蘭学医を派遣した地に、歴代藩主がめでた桜の苗木を植えた。

     今月開いた追悼式では、稲田家家臣だけではなく、徳島側の死者、北海道移住時に船の遭難で亡くなった人たちも合わせてしのんだ。「時代の大きな変革期で、情報の錯綜さくそうもあったようです。洲本側も徳島側も、純情な武士として行動した。関わったすべての人が安かれと思います」。

     稲田家家臣たちは、移住した北海道にも学問所「益習館」を作った。新ひだか町の跡地に建立された石碑には「北海道の学校教育の先駆け」と記されている。9月には同町でもパネル展を開く予定で、現地の熱い期待の声を聞いて準備を進めている。「時代に即した人づくりを目指した益習館の志は、今も求められている」。先人の歩いた道を確かめながら、前へ前へと進んでいく。(井ノ口麻子)

    2015年05月14日 05時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
    PR
    今週のPICK UP

    理想の新築一戸建て