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    〈7〉手話通訳今でも現役  田中清さん

    40年前、活躍が記事に

    • 「手話では、いかに最も近い意味で表現するかが大切」と話す田中さん(横浜駅西口で)
      「手話では、いかに最も近い意味で表現するかが大切」と話す田中さん(横浜駅西口で)
    • 1974年11月30日神奈川版
      1974年11月30日神奈川版

     [1974年11月30日神奈川版] 「耳が不自由な人でも、ぜひ一人前に扱ってほしい。アパートを断られた人もいるんです。病院では、筆談をしようとして書いた紙を破られて帰って来た人まで。もっとなんとかならないかと――」。手話通訳を通して、一般の人と耳の不自由な人の間の“かけ橋”になっている田中さんには、冷たいエピソードがどんどん耳に入る。ことしから強化された市民相談室での通訳のほか、就職面接、保育所入所から選挙演説会、裁判にまで大活躍。「子供から手を離せるようになったら、もっと十分にやりたい」と意気はつきない。

     

                         ◇

     

     手話通訳として活躍する26歳の主婦を取り上げた40年前の記事。「懐かしいですね。この頃はまだ、手話が自分の仕事になるとは夢にも思ってませんでした」。NHK手話ニュースのキャスター・田中きよさん(66)は、そう言って当時を振り返った。

     横浜市神奈川区の出身。耳の不自由な両親の間に、5人きょうだいの末っ子として生まれた。父は帯の仕立てを営む腕の良い職人。自身の耳は聞こえたが、住み込みで働いていたお針子さんや、よく訪れていた業者とのコミュニケーションに使われていた手話を自然に覚えていった。

     高校を出て兄の勤める会社に事務員として働き始めたが、度々、手話通訳の依頼が来るようになり、1973年に横浜市の嘱託手話通訳者になった。選挙の立会演説会で、立候補者の傍らで手話をする姿が注目されたのがこの頃。今でこそ当たり前の光景だが、当時は珍しがられ、新聞や週刊誌の取材が相次いだ。

     3男3女に恵まれ、子育て中は手話通訳の仕事を一時中断したが、6人目を産んでしばらくしてから再開。90年にNHK教育テレビ(Eテレ)の手話ニュースでキャスターに抜てきされ、現在も出演を続けている。

     テレビ画面で印象的なのは、手話を伝える際の表情の豊かさ。「手話だけだと、『(手話での)言葉はわかるが話がわからない』ということになる。自分の思いを伝えるために表情はとても大事です」と語る。

     40年前に比べると、聴覚障害者の日常生活を取り巻く環境はずいぶん改善されたという。例えば、電車のドアの上にある、次の停車駅を知らせる電光掲示板。「何げないものだけど、聴覚障害者にとってはすごい進歩なんです」

     90年代に聴覚障害者が主人公のテレビドラマが話題になるなど、手話の認知度は高まっており、女性を中心に手話を習いたいという人も増えているという。田中さんも多い年で50回の講演をこなす。「ドラマの『手話ブーム』が過ぎて、最近は『人のために役に立ちたい』と手話を習いに来る人が増えています」と、手話の広がりに手応えを感じている。

    2014年10月04日 10時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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