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    心を動かす語り部バス

    元アナウンサーの挑戦

    斉藤修さん53   新潟市→南三陸町

    • 語り部バスの車内で乗客に被災状況を説明する斉藤さん(右)(南三陸町で)=冨田大介撮影
      語り部バスの車内で乗客に被災状況を説明する斉藤さん(右)(南三陸町で)=冨田大介撮影

     「津波は高台にある電柱をのみ込んでいきました」「茂みの下に家の基礎が残っています。ここに、暮らしがありました」

     斉藤修さん(53)の声が車内に響いた。南三陸ホテル観洋が毎朝運行している「語り部バス」。宿泊客が、南三陸町の被災状況の説明に耳を傾ける。

     バスは町の防災対策庁舎の前で止まり、乗客が降りた。避難を訴えた職員らが犠牲になった場所だ。「私だったら逃げていたかもしれない。立派な仕事をされました」。元アナウンサーの語り部は、鉄骨だけになった庁舎を見つめた。

     大学卒業後、斉藤さんは山形県のテレビ局に入社し、8年勤めた後で地元新潟県のテレビ局に転じた。アナウンサーを志すきっかけとなったのは、小学生の時に読んだ教科書。災害が起きたさなか、危険を顧みずに避難を呼びかけた人がいたと学び、自分も多くの人を助けられる仕事に就きたいと思った。

     震災発生後、最期まで庁舎に残って津波にのまれた南三陸町職員のことを知った。「そんな人が現実にいるなんて」。小学生の時の記憶がよみがえった。

     自分はどうだろう。震災関連のニュースを伝えていても、原稿を読み上げているだけという感覚が拭えなかった。「被災地の力になりたい」。年齢的にも最後のチャンスと考え、家族の反対を押し切って2012年3月に退職した。

     就職サイトに登録し、最初に連絡があったのが、あの南三陸のホテル観洋だった。「これは縁だ」と感じた。その年の10月に入社、新潟市から単身で南三陸町に住み始めた。

     フロント業務の傍ら、同僚に震災当時の話を聞き、新聞を繰り返し読んだ。その姿が上層部の目に留まり、バスの添乗を持ちかけられたのは13年の初夏。被災経験がなく戸惑ったが、「被災地のホテルとして、お客さんに伝えていかなければならない」との言葉に気持ちを固め、従業員が務める10人の語り部の1人になった。

     最年長で指導役の伊藤文夫さん(71)と一緒にバスに乗ると、防災対策庁舎の前でいつも泣いてしまった。「現場で語りかける。だから、人の心が動く」と感じ入った。

     海から1キロ内陸の自宅を流された伊藤さんは「津波が来るなんて思ってもいなかったし、避難訓練をしたこともなかった」と語る。だからこそ語り継ぐことが大切だと思う一方、震災の風化も感じていた。「そういう時に彼が語り部になってくれて、うれしかったね。津波の高さとか、どう逃げたかとか、何でも教えたよ」

     約1か月の研修を経てデビューした。30回以上、語り部を重ねるうちに、涙を流して聞き入る客を見かけるようになった。

     南三陸町で暮らして2年余り。接客や結婚式の司会で顔を知られ、仮設住宅にホテルのチラシを配りに行くと、「新潟から来て大変だろうけど、頑張ってね」と声をかけてくれる。町民の優しさがありがたい。

     「つらい経験を二度としてほしくない。町の人にも、全国の人にも」。その思いを胸に、またバスに乗る。

     (小林泰裕)

    プロフィル

     新潟市出身。父は自営業、母は主婦。長男で、妹が2人。試合を実況するうちに剣道が好きになり、42歳で始めた。腕前は三段。南三陸特産のタコを使ったタコわさと、冬でも晴れた空と青い海が大好き。日本海側では珍しいという

    家族

     妻と娘が1人。勤務先のホテルの寮で一人暮らし

    好きな言葉

     「声は人なり、人は心」

    2015年01月04日 05時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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