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    近鉄田原本線 他線と接続なし

     ◇ライバル社買収の名残

    • 田原本線の西田原本駅から約100メートル離れた橿原線の田原本駅(奥)に向かう人たち(田原本町で)
      田原本線の西田原本駅から約100メートル離れた橿原線の田原本駅(奥)に向かう人たち(田原本町で)

     奈良市と大阪を結び、今春、100周年を迎えた近鉄奈良線が近鉄のトップスターなら、田原本町の西田原本駅と、王寺町の新王寺駅間の10・1キロを結ぶ田原本線(1日63往復)は、どう言えばいい存在だろうか。橿原線や生駒線といった近隣の近鉄線とも、なぜか、つながっていない。(早川保夫)

     橿原神宮前駅から橿原線に乗り、田原本駅で下車して約100メートル西の西田原本駅から田原本線に乗った。単線を行く、3両編成のワンマン電車。車窓から約20分、田園風景を眺めたあと新王寺駅に着いた。生駒線・JR関西線の王寺駅に向かう。つながっていないので、どちらに行くにも、いったん改札を出て歩くことになる。

     同じ近鉄王寺駅への距離は約150メートル。2分くらいだから、そう不便は感じないが、改めて違和感を覚えた。

     広陵町の女性(45)も「同じ近鉄なのに、どうして駅が離れているのかしら」。実際に歩くと、ますます疑問が募った。

     近鉄によると、理由は開業時に遡る。

     田原本線が近鉄線になったのは1964年だが、開通は18年と、歴史は古い。

     元々は、沿線住民らが設立した前身の大和鉄道。石炭などで走る車両で、レール幅は1067ミリ(狭軌)。一方の橿原線は、23年全通で、近鉄の前身の大阪電気軌道(大軌)が運営。最初から電化され、線路は1435ミリ(標準軌)だった。

     つまり、別会社だったうえ、レール幅の違いで、互いに乗り入れできなかったのだ。孤立は、その名残らしい。

     大和鉄道は25年に大軌傘下に入り、48年には電化して線路も標準軌に改めた。車両を借りるため、橿原線との連絡線路も敷かれている。じゃあ、どうして駅と駅をつながなかったのか。

     近鉄にも記録が残っていないその謎を、「経営判断だったのでしょう」と解くのは、天理市の天理参考館で「近鉄電車展」(27日まで)を担当した学芸員の乾誠二さん(42)だ。

     大阪に向かう現在のJRと接続する大和鉄道は当時、奈良線のライバルだったことを挙げて、「乗客を取られないよう、あえて乗り継ぎを便利にしなかったのでは」と指摘する。

     一方、大和鉄道も、単なるローカル線ではなかった。

     28年には、田原本(現西田原本)から桜井市の桜井駅までの7・5キロが開通。このほか、三重県名張市などへの延伸計画もあって桜井―名張間の免許を取得しており、大軌が、大和鉄道を買収したのは「この免許が欲しかったから」(乾さん)という。

     このあと、近鉄大阪線と競合する田原本―桜井間は1944年に休止、58年に廃線となり、県道に転用された。田原本線の孤立は、近鉄発展の歴史の一部といえそうだ。

     田原本町に住む近鉄OBの二十軒起夫にじゅっけんたちおさん(67)は、田原本線が近鉄になった頃の話として「田原本、西田原本両駅の北に、田原本統合駅を設置する構想があった」と証言する。

     しかし、駅の移転で人の流れが変わることに地元が反対し、「具体化しないまま、立ち消えになった」らしい。

     東側しか改札がなかった田原本駅だが、2009年12月、田原本駅西駅舎が完成して、乗り継ぎの便が格段に向上した。地元の住民グループ代表で、駅のそばに住む中西秀和さん(71)は「昔は踏切待ちで電車に乗り遅れることもあったが、ずいぶん楽になりました」と話す。

     地元の年配の人の多くは、いまも田原本線を、前身の大和鉄道の愛称だった「やまてつ」と呼ぶ。中西さんは「やまてつは、町の近代化の先駆けだった。4年後の100周年では、奈良線に負けないお祝いイベントをしたい」と意気込む。

     昔もいまも、地域の足として親しまれる田原本線。紆余うよ曲折を経て走り続ける、近鉄の名脇役だ。

    2014年05月25日 05時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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