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    (1)流木次々 家崩れ去る

    • 「50年たった今も忘れられない」と話しながら当時の体験を振り返る高橋久子さん(17日、関川村で)
      「50年たった今も忘れられない」と話しながら当時の体験を振り返る高橋久子さん(17日、関川村で)

     ドーン、ドーン――。1967年8月28日の深夜、関川村高瀬温泉の旅館「高橋屋」に鈍い衝突音が響いた。夕方から降り続ける雨で、旅館から数十メートル離れた荒川の堤防が決壊し、濁流に流された流木や角材が次々に建物にぶつかったのだ。

     「裏山に逃げてください」。消防から指示があったが、前の道路はすでに冠水し、避難できる状態ではない。「このままでは危険だ」。大女将おかみの高橋久子さん(76)は家族とともに、完成したばかりの合掌造りの風呂場に避難することにした。

     だが、1階付近にはすでに水がなだれ込んでいた。久子さんは旅館2階からはしごをかけて風呂場の屋根に渡ったが、後から来るはずの家族は来なかった。

     その時、家族らがいた建物は激流に流され、崩れ去っていた。旅館2階の一室にいた妹の登久子さん(74)も風呂場に行こうとしたが、濁流にのみ込まれた。「何が起きたのか分からなかった。気付いたら汚水の中だった」。つかまった角材が運良くよどみに流れ着いて、九死に一生を得た。立ち木に登り一夜を明かした。

     電気は止まり、辺りは真っ暗闇。久子さんは風呂場の屋根の上で一人で救助を待った。その間にも流木が次々に衝突する。「もうだめなのかな」と思いながらも、童謡を歌って気持ちを和らげた。

     久子さんと登久子さんは日が昇って水が引いた後、川船で救助された。だが、姉夫婦ら5人は海辺で遺体となって見つかった。

     登久子さんは、一緒に流された姉の佳久さん(当時31歳)がめい(当時4歳)を背負い、「この子だけはどうか助けて」と訴えた声が今でも耳から離れない。祖母のコシノさん(当時83歳)は秋田県の男鹿半島まで流れ着き、地元漁師に発見された。

     旅館の建物はほとんど流され、久子さんと登久子さんは料理店を開いて生活をしのいだ。数年後、旅館を同じ場所に建て直し、改築を重ねて鉄筋コンクリートの頑丈な造りにした。

     今でも大雨の度に思い出す。「荒川は何回も氾濫してきたが、羽越水害のときは規模が違った」。2人は口をそろえる。

         ◇

    • 荒川の氾濫で水没した国鉄坂町駅。線路は見えない(1967年8月29日、本社機から)
      荒川の氾濫で水没した国鉄坂町駅。線路は見えない(1967年8月29日、本社機から)

     山間部の大雨では、流木が被害を拡大させる。今年7月の九州北部豪雨でも、土砂崩れなどで流された樹木が家屋を襲い、行方不明者の捜索も妨げた。新潟大災害・復興科学研究所の安田浩保准教授(河川工学)は「羽越水害と九州豪雨は川と山が近い点で類似性がある。土砂と一緒に流れた樹木が漂流物として被害をもたらす」と指摘する。

     県内では一部の河川で流木対策が講じられている。県河川管理課によると、1995年に上越地方を襲った「7・11水害」を受け、妙高市の関川上流に流木をせき止める「流木捕捉工」を数か所設置している。

    2017年08月25日 05時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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