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    (2)農村 河川整備後回し

    • 羽越水害の後、関川村を流れる荒川には頑丈な堤防が整備された(羽越河川国道事務所提供)
      羽越水害の後、関川村を流れる荒川には頑丈な堤防が整備された(羽越河川国道事務所提供)

     羽越水害が発生した1967年は、高度経済成長に伴って治水技術の進歩が始まった頃だ。しかし水害対策はまだ十分ではなく、至る所で堤防が決壊し、約4万5000棟の家屋が床下浸水に遭うなど被害は広範囲に及んだ。

     「堤防を補強していたそばから崩れ、撤退することになった」。羽越水害で加治川の決壊を防ぐ作業にあたった新発田市の加藤洋平さん(74)は振り返る。消防団員として堤防に土のうを積み上げたり、くいを打ったりしたが、うねるような濁流が作業の前に立ちはだかった。

     河川の堤防工事は、戦前はトロッコなどで土を運んで人力で踏み固める作業が中心だったが、戦後、ブルドーザーの導入などで飛躍的に進化した。新潟大の大熊孝名誉教授(河川工学)は「遠くから大量の土を運ぶことができるようになり、強固な堤防を造れるようになった」と話す。60年代後半は、都市部を中心に河川整備の予算も回り始めていた。

     だが、農村部の河川整備は後回しにされた。最も大きな被害を出した荒川を管理する国土交通省羽越河川国道事務所の武藤和明・副所長も「当時は不十分な堤防しかなかった」と話す。

     そこに記録的な豪雨が降り注げば、被害が拡大するのは明らかだった。羽越水害発生時に村上市小岩内で観測した荒川の流量は毎秒約8000トン。当時限界とされた同3200トンを大きく超えていた。

     県によると、水害2日前の8月26日頃から停滞していた前線が活発化。28日夜から豪雨が襲い、胎内川上流域では700ミリ以上の総降水量を記録した。関川村の佐藤忠良副村長(72)は「急にバケツをひっくり返したような雨が降ってきた」と語る。

     羽越河川国道事務所は、羽越水害を受けて開設された。国は荒川を1級河川に指定し、下流を直轄区間に編入。両岸の堤防の幅を100メートル広げるなどの治水事業を始め、現在では対象区域の99%で堤防を整えた。

     また、本県や北陸地方には当時なかった治水ダムの着工に取りかかり、78年には大石ダム(関川村)を、2008年には横川ダム(山形県小国町)をそれぞれ竣工しゅんこう。11年の新潟・福島豪雨では、荒川は氾濫しなかった。50年前と比べると、治水技術や水防対策は格段に進歩した。

     それでも、15年9月の関東・東北豪雨や今年7月の九州北部豪雨のように、多くの死者を出す豪雨災害は度々起きている。

     同事務所は今年4月、荒川が氾濫した場合に浸水する可能性がある地域を示したハザードマップを公開した。浸水時に想定される水深などを色分けしている。「羽越水害クラスの大雨はまだまだ防げない。リスクを把握し、避難するときはすぐに逃げてほしい」。武藤副所長が語った。

    2017年08月26日 05時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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