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    (3)災害の伝承 「大蛇」担う

    • 羽越水害から40年の節目の年に行われた大蛇パレード。この日は朝から好天に恵まれた(2007年8月26日、関川村で)
      羽越水害から40年の節目の年に行われた大蛇パレード。この日は朝から好天に恵まれた(2007年8月26日、関川村で)
    • 新大蛇の製作に取り組む村民ら(今年2月、関川村提供)
      新大蛇の製作に取り組む村民ら(今年2月、関川村提供)

     荒川の氾濫で34人の死者・行方不明者を出した関川村。村がたどった50年は、羽越水害からの復興の歩みと重なる。

     

     慰霊碑のある湯沢観音公園で25日に開かれた供養祭では、50年前を思わせる強い雨が降り続いた。「あの時の体験の全てを後の世に残す決意と努力が、犠牲になった皆さんの尊い霊に報いることだ」。平田大六村長(83)が慰霊の言葉を述べた。

     

     だが、村も他の自治体と同様、高齢化と過疎化の問題を抱える。毎年行われてきた供養祭は、遺族が亡くなるなどして参列者が減り、今回で最後となった。

     

     村民の心に深く刻まれた災害の記憶をどう受け継いでいくか。その思いは、わらと竹でできた「大蛇」が村内を練り歩く「大したもんじゃまつり」に託される。

     

     まつりのアイデアを生み出したのは、中学3年で水害を経験した須貝正春さん(64)だ。

     

     浸水した自宅の畳を張り替えに来た新発田市の職人の元で修業し、20歳で村に戻った。「村を良くするには若い力が大事だ」と、経営する旅館で勉強会を開きながら、村が開いた人材育成塾に参加した。村をあげてのイベントが開催できないか議論が交わされる中、目を付けたのが、羽越水害と、水害をもたらそうとした大蛇を村人が退治したという村の言い伝え「大里峠おおりとうげ」だった。「魅力のある田舎を望んでいた。『予算はない』と言われたが、村全体が関わるものにしたかった」

     

     作業場に2か月間閉じこもり、図面製作にとりかかった。車道を渡る際に簡単に分解でき、狭い道を直角に曲がることができるよう工夫を施し、竹を折り曲げてつくった胴体にわらを編み込む製法を編み出した。

     

     約1・5メートルの胴体部分のパーツは、村の全54集落に製作を依頼した。各集落とつながりがある村体育協会に最初に話を持ちかけた際は「手間がかかる」と反対の声が上がったが、「他にどこができるのか」と説得し協力にこぎ着けた。

     

     初めて開催したのは、災害から20年が過ぎた1988年。各集落の区長に頼み込んで、全村民の2割にあたる約1500人の担ぎ手を集めた。村内約30キロをパレードする様子が報道されると、評判を呼び、全国各地のイベントに招待された。近年は、担ぎ手に大学生のボランティアも参加するようになった。須貝さんは「村外に出た人が、『大蛇』ができてから関川出身だと堂々と言えるようになったと聞いた」と目を細める。

     

     27日に行われる今年のパレードは30回目の節目となり、各集落が2月から作ってきた9代目の「大蛇」がお目見えする。長さは、水害が起きた8月28日にちなんで「82・8メートル」。約10年前に須貝さんから先導役を引き継いだ大工の三須真さん(48)は「若い世代がまつりに関わり、水害の記憶が薄れないようにしていきたい」と力を込めた。

    2017年08月27日 05時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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