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    <4>[舟運]自然親しむ ゆったり交通

     すでに大阪(伊丹)空港から海外に向けて飛行機が飛んでいた1960年代初め。淀川の上流に渡し舟が残っていた。

    • 自然の残る淀川の川辺で、渡しについて語り合う野田さん(右)と浜田さん(島本町で)
      自然の残る淀川の川辺で、渡しについて語り合う野田さん(右)と浜田さん(島本町で)

     「ちょうどこの辺りに船着き場があったんですよ。流れが緩やかだったからでしょうね。氷の上をすーっと滑るように進む舟でした。ゆったりとした、ぜいたくな時間でしたよ」

     昨年12月の昼下がり。うっそうとしたヨシに覆われた島本町の淀川べりを案内してくれた野田雅文さん(62)は目を細めた。

     淀川を挟んで同町と対岸の京都府八幡市を結んだ「山崎の渡し」。近くに橋がなく、同市にある京阪電鉄・橋本駅の利用客や、石清水八幡宮の参拝客らが使った。大手金属会社を退職し、今は町の観光ボランティアを務める野田さんは子どもの頃、父親に連れられ、その舟に乗った。

    • 昭和初期、島本町側から出る渡しに乗り込む住民ら(島本町教委提供)
      昭和初期、島本町側から出る渡しに乗り込む住民ら(島本町教委提供)

     「あんなに自然に近い交通手段って、もうどこを探してもないんじゃないかな」

     舟の上は吹きさらし。風の向きは肌で感じた。春は川辺の桜が目の前に迫り、秋は紅葉の山々を見上げた。水中に銅線を入れて電流を流すとウナギがぷかぷかと浮いてきた。家に持ち帰り、かば焼きにして食べた。

     舟問屋が営業し、舟賃は30円か40円だったか……。数百メートル先の対岸に行くのに、川の中にある中島で別の舟に乗り換え、20分ほどかけて向かった。

     渡しは野田さんが12歳だった62年に廃船になった。2年後、東海道新幹線の新大阪―東京間が開通した。

     「もうスピード優先の時代に合わなかった。二度と乗ることはないだろうと思っていた」

               ◇

     その淀川の舟運に復活の兆しが出ている。きっかけは、95年の阪神大震災。大阪市内の川の堤防が崩れた際、渋滞の陸路に代わり、復旧用の土砂を積んだ船は瀬戸内海から淀川をさかのぼった。その後、国土交通省は、大阪市や枚方市など淀川沿いの計9か所に、緊急時の船着き場を整備した。

     2003年の「世界水フォーラム」では、大阪、京都、滋賀の6人の知事や市長が、淀川水系の自然や歴史を生かしたまちづくりを目指すとする共同宣言を発表した。

     「川と自然、人をつなぐ観光の視点でも船を運航できないか試したい」。11年秋、淀川流域の9市1町が集まった会議の席上。国交省淀川河川事務所の呼びかけに、多くの自治体が実証実験の参加に応じた。

     国交省は直後に、船運会社や地域住民にも声をかけ、実験をスタート。枚方市以北で可能性を探った。11年は枚方市―京都・伏見で船外機付きボートを使い、12年は屋形船も加えて、島本町と八幡市を結ぶ渡し船の実験も行った。その結果、水深の浅い枚方市から上流では、20人乗りの船までなら運航できることがわかった。

     同町の観光ボランティアの一人、浜田悌さん(80)は昨年11月に渡し船の実験に参加した。「陸の風景とは全く違う」。桂川と宇治川、木津川の合流点。水の色が異なる三つの流れが一つに重なり、雄大な流れを作っていた。川べりに茂る草木や空を飛び交う野鳥、水中には魚の群れを見た。一緒に乗った船運会社の伴一郎さん(64)も「淀川の上流は手つかずの自然が残っている。観光面でも魅力がある」と事業化を検討している。

     周辺は、万葉集や新古今和歌集、谷崎潤一郎の小説「蘆刈(あしかり)」に登場する景勝地。江戸時代には、伏見から大阪市北区の八軒家浜まで約45キロを結ぶ「三十石船」が運航され、坂本龍馬や新撰組も利用した。

     国交省は、坂本龍馬が襲撃されたことで知られる伏見の歴史スポット「寺田屋」と、くいだおれの拠点・大阪ミナミを結ぶクルーズ船の案を示し、「『寺田屋からグリコまで』とアピールできれば」と夢を描く。

               ◇

     会社勤めを終えて6年。野田さんは、後鳥羽上皇ゆかりの水無瀬神宮などの案内を続けながら、国や自治体との協議に加わり、舟運復活を心待ちにする。

     「合理性ばかりを重視する世の中で消えたあの渡しが、こうして今、多くの人に見直されることになるなんて」

     淀川の流れを見やる野田さんの視線の先には、すーっと川面を滑る木舟の残像があった。(辻和洋)

    ◇ガイド 

     

     石清水八幡宮(075・981・3001)は、京都府八幡市の男山丘陵にある日本三大八幡宮の一つ。平安~南北朝時代に天皇や上皇が参詣し、武家にも信仰された。

     寺田屋(075・622・0243)は、江戸時代に建てられた京都市伏見区の川沿いの船宿。1866年、宿泊中の坂本龍馬が伏見奉行の役人に襲撃された。鳥羽伏見の戦いで焼失後、再建された。現在は観光客に開放されている。午前10時~午後3時40分。大人400円、中高大生300円、小学生200円。

     水無瀬神宮(075・961・0078)は島本町広瀬にあり、後鳥羽上皇、土御門天皇、順徳天皇をまつる。境内の井戸水「離宮の水」は、天王山を源にする伏流水で、良質な天然水が流れ、国指定の名水百選に選ばれる。

    2013年01月05日 01時14分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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