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    <5>料理人紹介1万人

    ◆割烹並ぶにぎわい、いつか

     若者らでにぎわうミナミのアメリカ村に、5階建ての古いビルがひっそりとたたずむ。その3階に、40年前から調理師紹介所明石事務所がある。

     国の許可を得た民間の紹介所で、登録した料理人と料理店をそれぞれに有料で紹介する。これまでに1万人を仲介した。

     所長の明石文男さん(83)は、料理のコンクールで審査員も務める。壁には白魚(しらうお)のすり身の吸い物、明石鯛(だい)のお造りなど、出品作品の写真が並ぶ。長年にわたって、大阪の料理人たちを見守ってきた。

    • 「大阪をもう一度割烹店がずらりと並ぶ街にしたい」と語る明石さん(大阪市中央区で)=若杉和希撮影
      「大阪をもう一度割烹店がずらりと並ぶ街にしたい」と語る明石さん(大阪市中央区で)=若杉和希撮影

     「日本料理の土台を作った大阪の味をなくすわけにはいかへん」。分厚い名簿を手に、明石さんが振り返った。

     大阪市西区新町。江戸時代から栄えた繁華街で、父が創業したすし屋の家に生まれた。舞台女優や船場の商人らが足しげくやって来て、すしをほおばる。「父と同じような職人になりたい」。やがて、ミナミの日本料理店で料理人になった。

     東京の店で働いたり、洋食店を開いたりしたこともあったが、「瀬戸内の新鮮な魚と河内の野菜を存分に生かす合わせだしの料理以上に、うまいもんは作れへんかった」。二人三脚で歩んできた妻が体調を崩し、店を閉めたのを機に、「これからは大阪料理を広める仕事を」と、ミナミで紹介所を始めた。

     万国博覧会が開かれ、大阪に勢いがあった頃。割烹(かっぽう)店がずらりと並び、街中で威勢の良い「らっしゃい」という声が響き渡っていた。「大将、旬のハマチでなんか作ってや」。客の声に、板前がカウンター前で豪快にさばく。紹介所にも、全国各地から料理人や調理師専門学校を卒業したばかりの若者らが次々に訪れた。大阪近辺の料理店に、年に約300人を紹介した。

     宝塚ワシントンホテル(兵庫県宝塚市)の「日本料理・しゃぶしゃぶ 島家」料理長の上野研二さん(59)は20年前、明石さんの紹介で、ここで働き始めた。徳島県出身で、最初に修業した高松市内の割烹料理店の大将に、大阪料理の基礎を教わった。

     「昆布のうまみや食材を使い切る大阪の味が、僕の料理の原点。伝えていくには、料理人だけやなく、明石さんのように支えてくれる人が必要なんです」と上野さん。合わせだしを守り、ニンジンやウドの皮をきんぴらや漬物に使うなど、素材を生かす。

     今、明石さんが紹介するのは年に200人ほど。日本料理店は減り、居酒屋が増えた。バブル経済崩壊後の不況で、企業の接待に支えられてきた料亭が消え、料理人は東京へ向かった。昨年発表の「ミシュランガイド京都・大阪・神戸・奈良2013」で、星を獲得した日本料理店は京都の76店に対し、大阪は42店だった。

     大阪の「うまいもん」はこれからどうなるのか――。関西の食に詳しい、雑誌「あまから手帖(てちょう)」編集顧問で、フードコラムニストの門上(かどかみ)武司さん(60)に聞いた。

     「全国からたくさんの食材が集まった江戸時代、大阪の人は食に手を抜かず、客の反応を見ながらうまいもんを作り出した。新しもん好きで、人とのつながりを大事にする大阪人らしさを磨けば、うまいもんはなくならへんと思う」(横田加奈)

    ◇「うまいもん」は今回でおわります。

    2013年06月24日 23時52分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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