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    旧草津川 面影残る公園に

    • 川床や堤防が公園に生まれ変わり、多くの人が憩う「de愛ひろば」(草津市で)
      川床や堤防が公園に生まれ変わり、多くの人が憩う「de愛ひろば」(草津市で)

     ◇「de愛ひろば」「ai彩ひろば」開園

     草津市の旧草津川跡地(7キロ)のうち、JR草津駅付近―国道1号で整備が進められていた公園「de愛(であい)ひろば」(0・8キロ)と約3キロ西の「ai彩(あいさい)ひろば」(1・2キロ)の完成式典が20日、行われた。緩やかにカーブし、かつての川の面影が残る公園では、親子連れらが早速、思い思いのペースで散策を楽しんでいた。(名和川徹)

     川底が住宅地より高い天井川の旧草津川は、大津市南部を源流に約13キロ、草津市中心部を東西に横切り、琵琶湖へ注いでいた。

     一帯が宿場町として栄えた江戸時代から、増水や堤防決壊による被災の記録が残り、国は洪水対策で流路を変更する付け替え工事に着手。2002年に完成し、同市青地町から下流約7キロを廃川とした。

     その跡地を6区間に区切り、うち2区間を市が買い取って公園整備を進め、1日に開園した。

     de愛ひろばには、講座や会議に使える部屋などを整備。20日にはイタリアンレストランやカフェ、ホットヨガスタジオもオープンした。22日午前10時からは開園イベントがある。

     ai彩ひろばでは、体験型の農園やカフェなどが、7月下旬に開業する。2区間の事業費は、約52億円。

     式典には約90人が出席し、橋川渉市長は「かつての川の流れが、人の流れに替わり、オアシスとして長く愛される公園になれば」と期待を込めた。

     ◇市民が思い出

     ■台風で土のう積み■桜まつり■農耕馬レース

    • 堤防の桜並木にはぼんぼりが飾られ、大勢の見物客でにぎわった(1965年頃)=草津市提供
      堤防の桜並木にはぼんぼりが飾られ、大勢の見物客でにぎわった(1965年頃)=草津市提供

     新たな憩いの場として再生した旧草津川は、市民にとって子どもの頃から親しんできた思い出の場でもある。往時を知る人に思いを聞いた。

     草津駅に近い写真館の3代目経営者・立岡功成さん(62)は子どもの頃、祖母と1歳上の姉と3人で家の屋根より高い堤防を越えて旧草津川へ遊びに行った。「あの頃は『川』と呼ばずに『堤防』に行こうと言っていました」と懐かしむ。

     堤防ではヨモギを摘んでベンチに運び、おもちゃの包丁で切ってままごと遊びに熱中した。ブランコや鉄棒、滑り台もあり、子どもたちの歓声がこだましていた。

     川床は平地から5~6メートルの位置にあり、普段、水は見えず砂場のようだったが、大雨が降ると姿を変えた。水量が増し続け、「堤防を越えるのでは」と怖い思いをしたことも記憶している。

    • 川床の砂地で農耕馬によるレースも行われ、大人も子どもも声援を送った(1955年頃)=草津市提供
      川床の砂地で農耕馬によるレースも行われ、大人も子どもも声援を送った(1955年頃)=草津市提供

     市街地の神社で宗務を担う中島孝雄さん(86)は、1953年(昭和28年)の台風で堤防が決壊寸前になった日を思い出す。青年団員として動員され、協力し合って土のうを積み、懸命に防いだ。「増水時、下流では何度も決壊が起きたと聞きました」と厳しい表情を見せる。

     春の川の表情は穏やかだった。「桜まつりの期間は、和服で着飾った人がたくさん訪れ、それは華やかで」。当時の堤防の桜並木は明治末期~大正初期の植樹で、樹勢の衰えを心配した中島さんは、地元小学校の創立30周年を記念し、2004年から児童や市民らと苗木約100本を植えた。桜は今年も満開になり、市民らを楽しませた。

     川床では農耕馬に重りを引かせるレースも行われた。「砂地を蹴って懸命に進む馬の姿に、大人も子どもも大興奮しました」と目を細める。

    2017年04月21日 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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