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    (1)下膨れの名脇役

    練馬ダイコン

     「うわっ、全然抜けない」。練馬区北町の住宅街の真ん中にある畑に、にぎやかな声が響いた。「練馬大根引っこ抜き競技大会」は時間内で抜く数を競うが、下膨れの独特の形をした練馬ダイコンは、少しの力ではびくともしない。顔を真っ赤にして格闘し、「もういやあ」と泣き出す子供の姿も。そんな中、小学1年須永乙羽ちゃん(7)(同区南田中)は「全然抜けなくってびっくりした。来年も出たい」と満足げだ。

     江戸中期には練馬で生産されていた練馬ダイコンは、5代将軍・徳川綱吉が練馬の別邸で栽培したという言い伝えもあり、江戸野菜の代表格だ。1メートルに達するものもあり、青首と比べ、身が締まり辛みも強い。煮物やたくあんに向き、たくあんは明治時代、保存食として軍に納入されるなどした。

     しかし、収穫しにくく、病気に弱いことなどから、練馬の畑は徐々にキャベツ畑に変わり、いつしか農家が自家消費分だけを作る幻の野菜になっていた。

     再び脚光を浴びたのは、区が育成事業に乗り出した1989年で、初年度は7戸に生産を委託した。「できるだけ昔の生産を」と、種をまく時期を文献に合わせて8月末にしたが、気温が高すぎてうまく成長しなかった。江戸時代から農家を営む渡戸章さん(79)(同区平和台)は「高温障害や台風の影響を受けやすい。栽培期間も青首は60日くらいだが、練馬ダイコンは90~100日かかる」と難しさを語る。

     初年度は、それでも区内で約5500本を収穫し、一部をたくあんにして百貨店で売り出したところ、飛ぶように売れた。事業を担当した区職員の石原清年さん(51)は「懐かしいと言って買うお年寄りが多かった」と振り返る。

     昨年度の生産本数は1万3000本を超え、生産農家は20戸まで増えた。ただ、ここ5年間は農家数、生産本数ともほぼ横ばいだ。区は「栽培コストや需要を考えると一般流通は難しい。むしろ『練馬で農業やっているんだよ』と広めることに役立てたい」と期待する。

     大会で抜いたダイコンは、翌日から区内の全区立小中学校の給食で出され、子供たちが地域を学べる格好の教材になっている。都内のNPOも、練馬ダイコンを食べるイベントを中野区で開いた。参加した約30人はその歴史や特徴の解説を聞きながら、ダイコン料理に舌鼓を打った。練馬ダイコンは徐々に身近なものとなってきている。

     今は毎年3000本以上の練馬ダイコンを作る渡戸さんは言う。「『練馬といえばダイコン』と誰でも知っている。せっかくの財産を残したい」(越村格)

       ◇

     都内で伝統的に生産されてきた野菜の復活への取り組みは1989年、JA東京中央会が始めた。2010年6月に都や農家、専門家らと「江戸東京野菜推進委員会」を組織し、「江戸期~昭和40年代前半に品目や品種、栽培方法が確立」「都内で生産」といった条件を満たす野菜を「江戸東京野菜」と定義づけ、これまでに34品目を認定した。

     推進委委員を務める元JA職員の大竹道茂さん(69)は「和食の無形文化遺産の登録決定などで注目度は一層高まるだろう」と話す。

     農林水産省の検討会委員を務めた東京農大名誉教授(食文化)の小泉武夫さん(70)は「和食が遺産登録されても、江戸東京野菜が無くなったら世界の笑いものになる」とし、小泉さんは「世界に誇る和食のためにも伝統野菜を守る必要がある」と訴える。

    2013年12月12日 14時29分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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