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    新たな金字塔~イチローの言葉

    • 7回1死、イチローが大リーグ通算3000本となる三塁打を放つ(7日、米コロラド州デンバーで)=鈴木毅彦撮影
      7回1死、イチローが大リーグ通算3000本となる三塁打を放つ(7日、米コロラド州デンバーで)=鈴木毅彦撮影

     米大リーグ、マイアミ・マーリンズのイチロー選手(42)(本名・鈴木一朗)は7日(日本時間8日)、米コロラド州デンバーで行われたロッキーズ戦で三塁打を放ち、大リーグ通算3000安打を達成した。

     記念すべき1打は高い放物線を描いた右翼フェンス直撃の三塁打だった。三塁ベンチからマーリンズの選手が飛び出し、イチローを祝福した。達成するならシングルヒットと思っていたイチローは「チームメートに(一塁まで来る)労力をかけなくてよかった」と、仲間と喜びを分かちあった。

     「あと2本」となってから7試合も無安打が続いた。6日の試合で1安打を放って王手をかけ、6番・中堅で先発した7日の試合は3打席凡退した後の第4打席、甘く入った球を思い切り引っ張り、記録を達成した。

     通算3000安打は大リーグ史上30人目。16年目の達成は、メジャー最多の通算4256安打を記録したピート・ローズ氏と並ぶ最速となった。3000安打を達成したことで、イチローの野球殿堂入りは確実と言われる。

     卓越した技術と強靭な肉体、精神力で新たな記録を更新し続けるイチロー選手の歩みと言葉を振り返った。

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    足跡~オリックスでプロ人生スタート

    1973年 10月22日、愛知県豊山町生まれ。本名・鈴木一朗

      92年 愛工大名電高からドラフト4位でオリックス・ブルーウェーブに入団

      94年 シーズン210安打で最多安打記録(当時)を更新。初の首位打者に

      95年 開幕前に阪神淡路大震災発生

          首位打者、打点王、盗塁王、最多安打、最高出塁率を獲得

          オリックスのリーグ優勝に貢献

    • 1994年9月20日に行われたロッテ・オリックス戦でシーズン200安打を達成、記念プレートを手にファンに笑顔でこたえるイチロー
      1994年9月20日に行われたロッテ・オリックス戦でシーズン200安打を達成、記念プレートを手にファンに笑顔でこたえるイチロー
    • 日本シリーズで巨人を破って日本一を決め、ペナントを手にグラウンドを一周するイチロー(手前)
      日本シリーズで巨人を破って日本一を決め、ペナントを手にグラウンドを一周するイチロー(手前)

      96年 オリックス日本一

      99年 日本プロ野球史上最速となる757試合目で通算1000安打達成

     「集中しにくい場面で集中できたことは評価したい」と珍しく自らのバッティングを評価(→・イチロー、アーチで決めた )

    自分の形、こうしてつかんだ~「打つ直前、勝負は決まっている」

    • 1999年4月、日本ハム対オリックス、イチローが2点本塁打を放ち、史上最短で1000本安打を達成(東京ドームで、吉岡毅撮影)
      1999年4月、日本ハム対オリックス、イチローが2点本塁打を放ち、史上最短で1000本安打を達成(東京ドームで、吉岡毅撮影)

     イチローは98年頃まで、自分の打撃の形がつかめず試行錯誤を繰り返したが、99年4月に西崎投手(西武)から二塁ゴロを打ったときに打撃の形をつかんだとされる。

     2003年の読売新聞のインタビューで、この瞬間を振り返り、「100%で待っていたのは真っすぐ。いい打球がいかないとおかしいのに、セカンドが右へ動くゴロというのは、最悪の結果なんです。はっきり見えましたね、まずい点が。足が(ステップに)入っていく角度であったり、両ひじが(インパクトへ向けて)入っていく角度とか」

     続けて、「打つ瞬間に自分の打球がイメージできる?」との問いに、イチローは次のように答えた。「(イメージできるのは)ボールが近づいてくる瞬間。勝負はここで決まっている。(イメージすることは)もちろん重要。そうでないと必然的なヒットはうまれない。偶然のヒットが多いようでは、ダメなんです」

    メジャーデビュー~「忘れられない日」

    2000年 ポスティングシステムを利用してメジャーリーグ挑戦の意向を表明

          シアトル・マリナーズと正式契約

      01年 オークランド・アスレチックスとの開幕戦に1番・右翼で先発出場

    • シアトル・マリナーズ入団発表で、リンカーンCEOと握手を交わすイチロー
      シアトル・マリナーズ入団発表で、リンカーンCEOと握手を交わすイチロー

     「一生忘れることのできない日になった。今までの喜びと質が全然違う。ファンの興奮もすごかった」

     メジャー1年目はシーズン242安打で新人王、MVP、首位打者、盗塁王などを獲得した。

     03年に読売新聞のインタビューで、「打撃の天才」と呼ばれることについて質問され、イチローはこう答えた。「僕のバッティングは、ヒットが出るようにしているわけですから……。ほかの人よりヒットを打てるゾーンが広いので、人が打てないボールをヒットできるというのが天才の定義だとすれば、そうかもしれない」

    日米通算2000安打~「ファンに喜んでもらい感動」

      04年 日米通算2000安打達成。この年はシーズン262安打。ジョージ・シスラーの最多安打記録(257本)を84年ぶりに塗り替える。月間50安打以上を3回。打率.372でメジャー2度目の首位打者に

     「プロに入ったときに、スカウトの人から2000本打てるくらいがんばれよと最初に声をかけてもらったことを思い出す。(お客さんがスタンディングオベーションをしたが)実はそのことに驚いた。日本の実績はたかが日本じゃないかという見方が必ずあると思う。それがきょう、ああいう形でファンの人に喜んでもらったことに感動しました」「日本では助けてくれる人がグラウンドの上でもたくさんいた。(米国では)孤独を感じながら野球をしなくてはいけない」(→・イチロー孤高の最速 終わらぬ挑戦 )

      06年 ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表に選ばれ、

          日本の世界一に貢献。

      07年 連続盗塁成功45でリーグ記録樹立

    日米通算3000安打~「初球を狙っていた」

    • レンジャーズ戦で日米通算3000本安打を達成したマリナーズのイチロー(2008年7月29日撮影)
      レンジャーズ戦で日米通算3000本安打を達成したマリナーズのイチロー(2008年7月29日撮影)

      08年 日米通算3000安打達成

     「気持ちよかった。初球を狙っていた。ホームランなら格好いいと思っていたけれど」貪欲にヒットにこだわる(→・イチロー、日米通算3000安打達成 プロ入り17年目の金字塔

      09年 WBC出場。不振に悩むも決勝の対韓国戦では決勝タイムリーを放ち、日本の連覇に貢献。「きょうは野球人生最高の日」

      10年 10年連続200安打達成。「(達成感は)もちろんある。簡単じゃないことは僕が一番知っている」

    • 2010年9月23日、ブルージェイズ戦の5回に中前打を放ち、10年連続200安打を達成したイチロー
      2010年9月23日、ブルージェイズ戦の5回に中前打を放ち、10年連続200安打を達成したイチロー

      12年 シーズン途中でニューヨーク・ヤンキース移籍。「マリナーズのユニホームを脱ぐのは難しい決断だったが、環境を変え、刺激を求めたかった」

    日米通算4000本安打~「半泣きになった」

       13年 日米通算4000本安打達成。「半泣きになった。区切りのいい数字は1000回に1回しかなく、それを4回重ねられた」(→・日米通算22年~「『ここをやってくれ』といわれたときに僕がいればいい」

      15年 マイアミ・マーリンズと契約

      16年 メジャー通算500盗塁達成

    日米通算4257安打~「ここに目標を設定していなかった」

    • パドレス戦の9回2死1塁、2塁打を放ち、ピート・ローズが持つ大リーグ最多記録を超える4257安打を日米通算で達成したマーリンズのイチロー(15日、米カリフォルニア州サンディエゴで)=伊藤紘二撮影
      パドレス戦の9回2死1塁、2塁打を放ち、ピート・ローズが持つ大リーグ最多記録を超える4257安打を日米通算で達成したマーリンズのイチロー(15日、米カリフォルニア州サンディエゴで)=伊藤紘二撮影

      16年 日米通算4257安打、最多安打記録を更新。

     「ここに目標を設定していなかったので、あまり(派手な祝福を)やらないでと思っていた。でもそれは止められないから、無視するのも失礼ですし」「僕は子供の頃から、人に笑われてきたことを常に達成してきているという自負はある。例えば小学生の頃に毎日野球を練習して、近所の人から『あいつプロ野球選手にでもなるのか』と、いつも笑われていた。アメリカに行く時も『首位打者になってみたい』。そんな時も笑われた。でも、それも2回達成した」

    米3000安打~「殿堂より明日の試合」

      16年 米通算3000安打

     試合後の記者会見で、感謝の言葉を伝えたい人を問われた時、オリックス時代の恩師の名を挙げた。「3000を打ってから思い出したことは、このきっかけを作ってくれた仰木監督(故人)ですね。神戸で2000年秋に、お酒の力を使ってですね、(大リーグ行きを)口説いたんですけど、その仰木さんの決断がなければ何も始まらなかったことなので、そのことは頭に浮かびました」

    • 大リーグ通算3000安打となる三塁打を放ち、祝福されるイチロー(2016年8月7日、米コロラド州デンバーで)=鈴木毅彦撮影
      大リーグ通算3000安打となる三塁打を放ち、祝福されるイチロー(2016年8月7日、米コロラド州デンバーで)=鈴木毅彦撮影

     あと2本となってから、足踏みが続き、苦しみながらの記録達成のようにも見えた。「(7月22日から10連戦だった)ホームで決めるというのがなんとなく人が描いたイメージだったと思うんですけど、なかなかそんなうまくいくわけもなく、それも分かっていたことですし。でも、これだけ長い特別な時間を僕にプレゼントしてくれたっていうふうに考えれば、(代打起用が多かった)この使われ方も良かったなというふうに今は思います」

     大記録を達成した後もイチローの視線は常に前を向いている。「次、こういう状況が生まれるとしたら、4000(安打)しかないですからね。そこまではなかなか(難しい)ですから。まあでも200本を5年やればね。どうですかねえ。3000っていうと、みんな殿堂につなげることが多いと思うんですけども、僕にとっては将来そんな、いつの日かわからないことよりも、明日の試合に出たいっていうことが大事ですね

    2016年08月09日 12時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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