文字サイズ
    計1万8000人を超す死者・行方不明者を出した東日本大震災。発生から5年を迎える被災地で復興に情熱を傾ける人々の姿、再生に向けた足取り、災害の教訓を生かす取り組みをお伝えします。
    現場から

    震災5年 いまも待ち続ける動物たち

    フリーカメラマン 太田 康介


     東日本大震災で避難所生活を強いられ、家族同然のペットや家畜を断腸の思いで自宅に置いてきた被災者は少なくない。特に東京電力福島第一原発の爆発事故で20キロ・メートル圏内は立ち入り禁止となり、そこに住んでいた住民の多くが今も家に帰ることができない。餓死するしかない動物たちを救おうと、震災直後から現地入りし、いまもエサやりボランティアを続けているフリーカメラマンの太田康介さんに、「動物たちのいま」を伝えてもらった。

    フリーカメラマン 太田 康介

    原発20キロ・メートル圏内はまるで紛争地

    • 被災地に残された猫(撮影=太田康介氏)
      被災地に残された猫(撮影=太田康介氏)

     「犬がいます」「彼らはお(なか)()かせています」「私にはこれ以上どうすることもできません」━━。震災後、いち早く福島第一原発付近で取材していたあるジャーナリストのSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)上の(つぶや)きを目にして、心を痛めました。

     そのジャーナリストは自分たちの食料を犬たちに分け与えていました。それを見て「犬が飢えているならきっと猫も飢えているに違いない」と、大の猫好きな私はいてもたってもいられなくなってしまいました。出発までの3日間に準備したキャットフードと自分の食料、ガソリンの予備を軽自動車に積み込み、福島県へ向かったのが3月29日の夜。地震で波打ってしまった東北自動車道をひた走りました。二本松から山を越え、気温マイナス5度を指していた南相馬に着いたのは、翌30日の早朝3時半ごろでした。

     辺りはまだ活動するには暗く、道路には地震で出来た亀裂などもあり、海に近いところではがれきが手つかずで残っていました。

     もし、私がここで事故を起こしてしまっては、ただでさえ大変な状況になっている被災地にさらに迷惑をかけてしまうことになります。それは私が戦場カメラマンとして紛争地などで活動していたときと同じだと思いました。とにかく明るくなってから周りの状況などがわかるまではおとなしくしておくのが最善と判断し、国道6号線沿いの営業をしていないコンビニの駐車場に軽自動車を駐車しました。車内は荷物が満載のため、シートを倒すこともできません。ガソリンを節約するためにエンジンも止めましたから、凍えながら夜が明けるのを待っていました。

    • 警戒する猫(撮影=太田康介氏)
      警戒する猫(撮影=太田康介氏)
    • 家電量販店の駐車場にたむろする牛たち(撮影=太田康介氏)
      家電量販店の駐車場にたむろする牛たち(撮影=太田康介氏)

     午前5時、南相馬市にサイレンが鳴り響きます。それが時刻を告げているのか、新たな警報なのか分かりません。ぼうっとしていた頭がサイレンのおかげですっかり目覚め、緊張が走ります。サイレン後は特に何も起こることはなく、慌ててつけたラジオでも何も言っていないことを確認して安心しました。そうこうしているうちに辺りはうっすらと明るくなってきました。

     その周辺では、たまに一般車両や自衛隊の車両が行き交うだけで、早朝ということもあって人気もほとんどありません。ひょっとすると、もう20キロ・メートル圏内に入ってしまっているのかと錯覚するほどでした。

    • 人がいなくなった20キロ・メートル圏内の町(撮影=太田康介氏)
      人がいなくなった20キロ・メートル圏内の町(撮影=太田康介氏)

     国道6号線を数キロ・メートル南下し「ここから20キロ・メートル圏内」と書かれたバリケードの横をすり抜け、いよいよ圏内に入ります。当然、バリケード付近は無人。まだこのころはそこに人がいて良いのかさえ分からず、私を止める人間は誰もいませんでした。ちょうどバリケードの先に橋があって、下を流れる川が私と同じ「太田」川という名前だったのが印象に残りました。

     3月30日の時点では20キロ・メートル圏内は退避勧告が出ているものの、4月22日に警戒区域に指定されるまでまだ1か月弱の猶予がありました。

     

    2016年03月04日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
    おすすめ
    PR
    今週のPICK UP
    PR
    今週のPICK UP