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    計1万8000人を超す死者・行方不明者を出した東日本大震災。発生から5年を迎える被災地で復興に情熱を傾ける人々の姿、再生に向けた足取り、災害の教訓を生かす取り組みをお伝えします。
    現場から

    分断乗り越える共同体を~福島を忘れないで

    日本国際ボランティアセンター震災支援担当 白川徹

    分断の末、孤独死の危険

    • 避難先から仮設を訪れた孫にお菓子を渡す仮設の住民。高齢者の多くが仮設に残り、避難した家族と離れ離れに暮らす
      避難先から仮設を訪れた孫にお菓子を渡す仮設の住民。高齢者の多くが仮設に残り、避難した家族と離れ離れに暮らす

     地域社会が何重にも分断されれば、相互に支えあってきた昔ながらの機能は失われていく。浜通り地方の住民は震災前、集落単位で相互扶助のもと暮らしていた。集落は非常に強固な結びつきで、「別の集落の人とはあまりしゃべったことがない」という高齢者も少なくなかった。

     南相馬市に仮設住宅が出来た際、集落より大きな単位の「区」は考慮されたが、集落が考慮されず入居する場所が割り振られた。その結果、震災前のコミュニティーがバラバラになってしまう状況がみられた。

     前述のように若い世代が市外に避難しているため、老齢世代のみが仮設に暮らすケースが極めて多かった。JVCが11年8月に調査をしたところ、仮設の平均年齢は70歳。違う行政区から集まっているため、1か月暮らしていても隣の人と挨拶もしたことがないケースも散見された。私たちが懸念をしたのは、阪神・淡路大震災の時のように孤独死が頻発することだった。

    「サロン」でコミュニティーづくり

    • 仮設住宅で開かれている「輪投げ大会」
      仮設住宅で開かれている「輪投げ大会」

     行政もただ手をこまねいていたわけではない。社会福祉協議会が週1回の交流サロンを開き、市の臨時職員として住民の生活支援をする生活相談員を仮設に配置した。しかし、就労世代が少なく、活動が縦割りで、支援の手が十分とは言いがたかった。

     JVCは臨時災害放送局の運営で知り合った小高区塚原行政区(集落)区長の今野由喜さんに団体を立ち上げてもらい、そこを側面支援する形で、仮設でのコミュニティー形成活動を開始した。目標は仮設に「仮の行政区(集落)」を作り、震災前にあったような相互扶助の体制を作ることだ。2012年初頭に仮設住宅の集会場を利用して常設型の「サロン」を開設した。

     管理者として同じ被災者の女性が常駐。サロンでは、住民間の交流を増やし、イベントの運営には住民にも参加してもらった。また、住民同士でボランティアや歌、踊りのグループを作るようにも呼びかけた。

     南相馬市ではいまも約4000世帯が仮設住宅や借り上げ住宅で避難生活を続けているが、現在でも仮設住宅4か所でサロンの運営が続いている。結果、住民間で相互扶助の体制が生まれ、仮設に疑似的な行政区を作ることが出来た。現在まで仮設住宅内で孤立し、孤独死の犠牲となった住民は出ていない。

    2016年03月09日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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