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    計1万8000人を超す死者・行方不明者を出した東日本大震災。発生から5年を迎える被災地で復興に情熱を傾ける人々の姿、再生に向けた足取り、災害の教訓を生かす取り組みをお伝えします。
    現場から

    集落の存続かけた高台移転~気仙沼・浦島地区からの報告

    日本国際ボランティアセンター気仙沼事務所 岩田健一郎

    問われた集落の力

    • 移転候補地を視察する大浦集落の住民
      移転候補地を視察する大浦集落の住民

     こうした背景の下で、浦島地区では比較的被災を免れた鶴ヶ浦を除き、大浦、小々汐、梶ヶ浦の3集落の住民が集団で高台に移転することを決意しました。高台移転を進める上で第一に住民に求められることは、移転を希望する住民を募って組織(協議会)をつくり、移転の候補地を探し出し、地権者に土地の提供の内諾を得ることです。この段階が、集落のコミュニティーの力が問われる、大きな分かれ道となりました。

     震災直後の混乱の中で、集落の住民は離散し、その所在も安否も十分につかめない状況が続きました。浦島地区の各集落の自治会役員は、住民同士のつながりを頼って連絡を取り合い、時には市内に点在する避難所に自ら赴いて、自治会員の所在を把握していきました。自治会役員は当時、会員名簿を作り直すことに大変な苦労をしたと言います。

     その上で、折から話題にのぼり始めていた高台移転について協議するべく、自治会の臨時総会が開かれました。初めて高台移転に関する会合が行われたのは、浦島地区で最も早く動き出した大浦でも2011年5月、続いて梶ヶ浦では11月、小々汐に至っては翌年の1月まで待たねばなりませんでした。

    自治会の存続、移転先の確保が成否を左右

     自治会の解散が現実的な問題として、真剣に検討される状況下です。市内の他地域では、自治会が解散するケースも生じていました。また、自治会員の所在を把握するという初動がままならなかったために、高台移転の希望を集約できない地域も存在していました。浦島地区の3集落は、幸いにして自治会が存続し、高台移転の希望を集約して協議会を結成するに至りました。各協議会への当初の参加者は、梶ヶ浦では約20世帯、小々汐ではおよそ15世帯、大浦では60世帯以上を数えました。

     組織結成と時を同じくして課題となったのは、どの場所に移転するのかという問題です。浦島地区は山を背にしているとはいえ、移転に適した土地は(おの)ずと限られています。また、土地の所有者は、同じ集落の住民でした。元々土地への愛着を強く持つ住民が、先祖代々受け継いできた土地を手放すことに抵抗を感じないはずはありません。土地提供の協力を得るためには、移転を希望する住民と土地を提供する住民との間の信頼関係と、慎重かつ丁寧なやりとりが求められました。

     実際に、移転先を確保できずに、高台移転を断念する事例も起きていました。住民同士の結びつきが強い浦島地区においても、移転先の選定がスムーズにいったわけではなく、地権者の了解が得られないために候補地の変更を余儀なくされることもありました。移転先の選定がいかに困難なことであったかは、高台移転を選択した住民が地権者への深い感謝を常々口にする姿にもよく表れています。

    協働の土台は住民の主体性…専門家の助言も活用

    • 高台移転予定地の見学会
      高台移転予定地の見学会
    • 造成地の模型を使って協議する様子
      造成地の模型を使って協議する様子

     これらのハードルを乗り越えて高台移転の事業申請にこぎつけた浦島地区の各協議会から、JVCに支援の依頼があったのは2012年に入った頃です。JVCが浦島地区と関わるきっかけとなったのは、避難所への給水支援でした。市内の中心部から離れた浦島地区は、インフラの回復が遅れるなど半ば取り残された状態にありました。

     避難所への支援活動以来、JVCは被災した家財の片づけや養殖業の生業再開、自治会行事などに協力することを通じて、住民と顔の見える関係を徐々に築いていました。支援者として身近な存在になっていたJVCに対して、高台移転を目指す協議会から、建築・まちづくりの専門家を派遣してほしいとの要請があったのです。

     JVCにアドバイザーの派遣を依頼するまでの経緯を振り返り、協議会役員は次のように語ります。

     「どこまでいっても素人の集まりだから、プロの意見を取り入れなければいいものはできないと思った」

     「家づくり・まちづくりをする土地は、自分たちで何とかしなければならない。それまでは専門家の力を頼りにすることはできないと考えた。高台に移転するまでに何年かかるか分からない中で、途中で辞退者が出る恐れがあった。それを防ぐためには、自分たちで議論を重ねて、集団で移転する人たちの意識をしっかりと作らなければならないと思った」

     「高台に移転すること自体が初めての経験。例えばこれまでは広い土地に、思い思いに居を構えてきたが、限られた土地に集まってどのように家を建てればよいか、それは自分たちの手に余る問題だった」

     これらの言葉に示されている住民の主体性、そして外部に求める役割の明確さこそが、住民、アドバイザー、JVCの長期にわたる協働の根幹であり、その後の長い道のりを支える原動力の一つともなりました。

     2012年4月にアドバイザー派遣を開始して最初に取り組んだのは、かねてより行政とコンサルタント会社から示されていた造成地の設計図面を検討することでした。およそ月1回の頻度で開催される総会の場で、移転予定地に実際に足を運んでイメージをつかみ、アドバイザーが作成した造成地の模型を使って協議を重ねながら、集約した住民の要望を行政とコンサルタント会社に伝えていきました。結果的に、当初の造成計画を各区画の立地条件がより公平なものに改善することができました。

    2016年03月10日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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