文字サイズ
    計1万8000人を超す死者・行方不明者を出した東日本大震災。発生から5年を迎える被災地で復興に情熱を傾ける人々の姿、再生に向けた足取り、災害の教訓を生かす取り組みをお伝えします。
    現場から

    集落の存続かけた高台移転~気仙沼・浦島地区からの報告

    日本国際ボランティアセンター気仙沼事務所 岩田健一郎

    移転希望世帯は半減

    • 共同発注のモデルプランの検討
      共同発注のモデルプランの検討

     一方で、協議会が発足してから1年近くが経過する間に、「ふるさとに戻りたい」という思いに反して高台移転を諦める住民が現れていました。高台に移転するという選択がどれほど困難なものだったかは、大浦協議会の会員が当初の約60世帯からおよそ30世帯にまで減ったという事実が示しています。

     「年寄りを抱えているから、2年も3年も待つことができない」、「将来のことを考えて、病院やスーパーに近いところに住もうと思う」、「自宅を建てるのは無理そうだから、公営住宅に入ることにした」。そうして、1人、また1人と元の集落に戻ることを諦める住民の姿を目にしました。

     これ以上の辞退者が出れば造成計画の大幅な変更を余儀なくされ、ひいては造成工事の遅れにつながる事態に危機感を募らせた大浦の協議会は、他の地域の住民に大浦へ移り住むことを呼び掛けることを決め、JVCもまた呼び掛け文書の作成や配布をサポートしました。高台移転の道を外に開いたことが奏功し、結果的に他地域から数世帯の参加を得て、大幅な計画変更を免れることができました。

    不十分だった「再建支援金」…共同発注の工夫も

     住民が高台移転を断念する背景の一つとして、住宅再建の経済的負担の大きさが考えられます。震災によって生じた急激な需要の高まりが建設費の高騰を引き起こし、住民を取り巻く状況はより厳しさを増していました。

     被災した住民は、住宅の被害程度と再建方法に応じて最大300万円が支給される「被災者生活再建支援金」、災害危険区域内の被災宅地の買い取り料、金融機関からの借入、さらには貯蓄等々によって住宅を再建することになります。

     「被災者生活再建支援金」が住宅再建にとって不十分であることは明らかですが、ここには災害時の公的支援がインフラ整備などの公共事業に偏り、個人の資産形成につながる直接支援が限られるという、今後も問われるべき問題があります。また、公的融資や利子補てんの制度が整備されていますが、そもそも高齢者は借入を躊躇(ちゅうちょ)し、自分の子どもを頼ることができなければ、制度自体を利用できない可能性が高くなります。

     高台移転を希望する住民の住宅再建を少しでも支えようと、これまでアドバイザーによる個別の相談会や融資に関する勉強会を重ねてきました。そして、住民が住宅再建の遅れで取り残されることがないよう、そのセーフティーネットとして共同発注方式を取り入れました。これはアドバイザーがコーディネートを担って住民が地元工務店に共同発注することにより、建設費用の節減を図るものです。浦島地区3集落の高台移転において、合計5世帯がこの方式で住宅を建てるという成果に結びつきました。

    自分たちのまちを作りあげる

    • 3集落合同で行われた先進事例の視察(宮城県大崎市で)
      3集落合同で行われた先進事例の視察(宮城県大崎市で)

     住宅建設の問題と並行して課題となったのは、限られた高台の土地に住民が集住する上で、いかに皆が気持ちよく、暮らしやすい環境を整えるかという点でした。その方策として、浦島地区の3集落はまちづくりのためのルールをつくることに取り組みました。ルールづくりのスタートとなったのは、2013年6月に3集落合同で仙台市や大崎市の住宅団地の先進事例を視察したことです。

     この視察は二つの点で大きな意味を持ちました。一つは、当初からルールづくりに意欲を見せていた大浦に対して、消極的だった小々汐や梶ヶ浦が、同じ先進事例を見たことによりその意義や必要性を認識したこと、また、それまでばらばらに動いていた各集落の協議会が、視察以降、合同で総会や勉強会を開催するようになったことです。

     視察後にアドバイザーから示されたルールの具体的な内容は、「プライバシーや日照権を守るために、両隣や前後との間隔を一定以上確保して住宅を建設する」ことや、「良好な景観やまちの雰囲気をつくりだすために、道路から宅地内1mの部分を『セミパブリックゾーン』と設定し、建築物および工作物を置かずに植栽等を施す」ことなどです。これをたたき台として、各集落でルールの内容が検討されていきました。

    柔軟なルール作りを心がける

     ルールづくりで重要だったのは、各集落の住民が提示されたルールをそのまま受け入れるのではなく、自分たちなりに解釈し、取捨選択し、独自のものにしていったことでした。例えば梶ヶ浦では、各ルールを努力事項と義務事項に分けて、その守るべき程度に幅を持たせました。一方、小々汐では、セミパブリックゾーンとして確保する部分を2mに広げて、駐車スペースにするという大胆な発想を取り入れました。

    • まちづくりのルールについて話し合う住民とアドバイザー
      まちづくりのルールについて話し合う住民とアドバイザー

     また、これらのルールは、「地区計画」や「地区協定」と呼ばれるような拘束力の強いものではなく、住民同士の「申し合わせ」と位置づけられました。個々の事情によってルールを守ることにどうしても不都合が生じる場合は、近隣住民と話し合い、理解を得ることができれば、ルールからずれることも認められています。

     つまりこのルールは、住宅建設を制限することがその目的ではなく、皆が気持ちよく暮らすために、お互いを配慮しながら「皆でまちをつくりあげていく」ための土台となるものでした。ルールに柔軟性があるということは、個々の意見を取り入れる余地が生じるため、かえって合意形成のために大きな労力が求められます。実際に大浦では、協議会全体でルールに対する概ねの合意を得るまでに、2年近くの年月を要しました。

     浦島地区でのルールづくりを通じて得た学びの一つは、横のつながりをつくることがいかに重要かということでした。ある協議会役員は「自分たちの集落でルールの話を進める時、他の集落の事例を引き合いに出すことで、説得力を持って語ることができた。自分たちだけでやっていたら、難しかったかもしれない」と話します。他方、別の協議会役員は次のように言います。「浦島地区の場合、3集落が一緒になって共通する課題を認識し、知恵を出し合って解決していくことができたが、他の地域ではそれが不足していたと思う。行政が率先して協議会同士の横のネットワークをつくるべきだと思う」。このことは、今後に生かすことのできる一つの教訓です。

    2016年03月10日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
    おすすめ
    PR
    今週のPICK UP
    PR
    今週のPICK UP