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    計1万8000人を超す死者・行方不明者を出した東日本大震災。発生から5年を迎える被災地で復興に情熱を傾ける人々の姿、再生に向けた足取り、災害の教訓を生かす取り組みをお伝えします。
    現場から

    津波の記憶を後世に 桜並木に込める思い

    NPO法人「桜ライン311」代表理事 岡本翔馬


     東北にもまもなく、桜の季節が訪れる。岩手県陸前高田市では、NPO法人「桜ライン311」が、東日本大震災で津波が到達した地点に桜の木を10メートルおきに植え、桜並木を作る事業に取り組んでいる。大津波が再来した際には桜並木より遠くに避難するよう、後世の人々に伝承しようというものだ。「桜ライン311」の代表理事を務める岡本翔馬さん(33)が思いを記した。

    NPO法人「桜ライン311」代表理事 岡本翔馬

    私たちは悔しいんです

    • 2015年4月、最初の植樹地でもある陸前高田市高田町の浄土寺で。満開の桜の向こうで土地のかさ上げが進む
      2015年4月、最初の植樹地でもある陸前高田市高田町の浄土寺で。満開の桜の向こうで土地のかさ上げが進む

     あまりにも多くの尊い命が失われ、把握不可能なほどの被害を受けたあの日から、5年という時間が流れました。しかし、東北の沿岸地域には今も、復興と呼ぶにはあまりに心もとない景色が広がっています。

     私たちは悔しいんです――。そんな思いを同じくする有志により、「桜ライン311」は2011年10月に設立されました。活動地域は岩手県陸前高田市。死者・行方不明者数が1700人超という極めて甚大な被害を出した地域です。

     設立のきっかけは、同年8月、ある地質調査に関する報道を目にしたことでした。それによれば、三陸沿岸地域には今から約1100年前にも、東日本大震災と同規模の大津波が押し寄せていたというのです。

     東北の沿岸地域の住民には、津波の経験があるお年寄り世代を中心に、津波に対するある程度の「耐性」がありました。そんな地域の人々にとっても、この時に報道されたことは、初めて知る史実だったのです。もしも、過去の大津波のことが「生きた知識」として人々の記憶に残されていたなら、こんなに大きな津波が起きる可能性があると分かっていたなら、死ななくて済んだ命は必ずあったはず。そう強く思いました。

     私は高校を卒業するまで、この街で育ちました。大きな地震や津波を経験した祖母と一緒に生活していましたが、私自身は、地震や津波をそれほど意識していなかったと言わざるを得ません。

     震災の後、過去の津波を伝える石碑がこの街に存在していることを初めて知りました。しかもそれは、私がよく訪れていた曽祖母の家の近くにあったのです。「これより下に家を建てるな」。そう刻まれた石碑が立っている場所は、くしくも今回の大津波の到達地点でした。身近にあった先人たちの警句に気付けなかった私が、もしもあの時、この街に住んでいたら、おそらく生き残ることはなかったのではないか。そんな気がします。

     そして、もしも震災が起こっていなかったら、私はきっと、この街に戻ってくることはなかったでしょう。震災当時、私は東京の企業で働いていました。やりたい仕事を見つけ、それに没頭して生きていこうと決めた時、陸前高田は魅力的で住みたい街だとは思えなかったのです。

     

    2016年03月11日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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