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    計1万8000人を超す死者・行方不明者を出した東日本大震災。発生から5年を迎える被災地で復興に情熱を傾ける人々の姿、再生に向けた足取り、災害の教訓を生かす取り組みをお伝えします。
    現場から

    「女川さいがいFM」の軌跡と3月で閉局する理由

    放送作家 大嶋智博


     東日本大震災で津波被害が最も大きかった自治体の一つ、宮城県女川町。この町の小学校の校庭で震災翌月に始まったラジオ局「女川さいがいFM」が今年3月末で閉局する。町内のみならず全国から支持を集めた5年間で残した功績と課題、そして被災地におけるラジオのあり方を、準備段階からボランティアで運営にかかわってきた放送作家の大嶋氏に寄稿してもらった。

    放送作家 大嶋智博

    あの日聞こえてきたのは「外」の情報ばかり

     「臨時災害放送局」。聞きなれない言葉かもしれないが、大きな災害が発生した際、被災地域内での情報伝達の手段として臨時に開設される放送局のことを指す。私がボランティアで運営に携わっている宮城県女川町のラジオ局「女川さいがいFM」もその一つだ。

    • 津波で壊滅的な被害を受けた女川町中心部(2011年4月)
      津波で壊滅的な被害を受けた女川町中心部(2011年4月)

     リアス式海岸など自然に恵まれたこの町を、あの日、津波は破壊し尽くした。あらゆる物資が不足したが、何よりも人々が欲しがったのは「情報」だった。

     ラジオから聞こえてくるのは、東京や仙台、あるいは原発事故の話ばかり。自分たちのいる女川町周辺がどうなっているのか、知るすべがなかった。

     電気が止まり、携帯電話網やインターネットを含むあらゆる通信設備が破壊された。ラジオ局やマスコミ、あげくは宮城県や国も女川町の現状をつかめていなかったのである。食料、ガソリン、交通の寸断……仙台のラジオ局も沿岸部の女川の情報までは発信が追いつかない。町役場も機能不全に陥り、根拠のない悪質なデマも飛び交っていた。

     そんな状況を見て、動き出したのが、後に「女川さいがいFM」の代表となる松木達徳(45)だった。女川町出身の松木は高校卒業後に上京して会社員をしていたが、実家が被災。帰省してボランティアをしていたところ、同じ宮城県内で「臨時災害放送局」というラジオ局がスタートしたというニュースをテレビで見た。ラジオのことはわからなかったが、どうやら被災した地域では臨時のラジオ局が作れるらしいということを知った松木は、SNSを通じてネット上の友人に相談を持ちかけた。

    2016年03月14日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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