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    計1万8000人を超す死者・行方不明者を出した東日本大震災。発生から5年を迎える被災地で復興に情熱を傾ける人々の姿、再生に向けた足取り、災害の教訓を生かす取り組みをお伝えします。
    現場から

    震災後の起業家たち…利益より重視したい価値とは?


     震災から5年。復興に向け動く被災地で、震災後に起業した人たちがいる。仙台市で「仙台秋保醸造所」を開いた毛利親房さん(47)もその一人だ。なぜ、あえて被災地での起業を選んだのか。ワイン醸造所開設までの道のりと、被災地への思いを寄稿してもらった。

    仙台秋保醸造所 代表取締役 毛利親房

    ようやくたどり着いたワイナリー開所

    • 秋保温泉郷の中心部に位置する「秋保ワイナリー」。目の前にはブドウ農園が広がる
      秋保温泉郷の中心部に位置する「秋保ワイナリー」。目の前にはブドウ農園が広がる

     2015年9月28日、仙台秋保(あきう)醸造所(秋保ワイナリー)が開所しました。

     14年春の植樹から15年9月の醸造所完成と製造免許の交付まで、とにかくタイトなスケジュールを夢中でこなしてきました。今まで何かを達成して涙を流すことはなかったのですが、製造免許の交付をスタッフに報告した時は目頭が熱くなりました。これまで多くの方に支えていただいた感謝の念、己自身をねぎらう気持ち……。ようやくスタートラインに立つことができ、一瞬だけ肩の荷が下りたのかもしれません。

     開所式の翌日からは、いよいよワインの仕込みです。身が引き締まる思いのなか、多くの方々にねぎらいの言葉を頂きました。

     秋保ワイナリーは、温泉で有名な秋保温泉郷(仙台市太白区)の中心部に位置する小規模なワイナリーです。東西に流れる名取川を挟んで谷地形を形成する秋保町は1年を通じて谷風が吹きます。緩やかな南斜面にあり、日当たりや風通し、水はけが非常に良く、ブドウ栽培に適した場所です。今年秋には自社農園のブドウも収穫できる予定で、文字通り100%秋保産のワインが誕生します。

    初めて設計した施設が津波に

     震災当時、私は仙台市の設計事務所に勤務していました。小学2年から4年間を仙台で過ごし、父の転勤で一時離れたものの、18歳で仙台に戻りました。大学卒業後に東京のゼネコンに就職しましたが、03年に設計事務所に転職して再び仙台に住むことになりました。

     初めて設計を担当したプロジェクトは、JR女川駅(宮城県女川町)に併設された温泉施設「女川温泉ゆぽっぽ」でした。建物内部にも電車の座席やつり棚を設け、役場の方々と一緒に創り上げた思い入れのある建物でした。

     11年3月11日、私は勤務する設計事務所にいました。小さい頃に経験した宮城県沖地震を超える強く長い揺れは、何か恐ろしい事態を予感させました。

     私は震災担当に任命され、スタッフの安否確認や自社が設計した建物の被災調査、震災に係る情報収集などを担当しました。震災後すぐ、妻から「家族は実家に避難した」とのメールがあり、業務に専念できました。

     ようやくガソリンが入手できたので、私も沿岸部へ調査に向かいました。津波の惨状を目にしながら丘を越えると、いつも見えてくる女川の懐かしい風景がそこにはありませんでした。「ゆぽっぽ」どころか町そのものがなくなっていたのです。呆然(ぼうぜん)と立ち尽くす私のそばで、涙を流しながら遺体捜索をされていた地元消防団の姿は今でも忘れられません。

    酒に弱い私がワイナリーにひかれた理由

    • 秋保ワイン(赤・ロゼ)。今年秋には自社農園産のワインができる予定だ
      秋保ワイン(赤・ロゼ)。今年秋には自社農園産のワインができる予定だ

     震災後、私は復興関連の会議に参加するようになりました。ゼネコン、コンサルタント、漁師、研究者、行政、広告代理店の人たちとの新しい縁もたくさん生まれました。そんな折、被災自治体から「復興計画を作るので何かアイデアがないか」という話がありました。有志が集まり、ボランティアで複数の復興提案を作成した中の一つが「地元宮城のワインで宮城の特産品を応援する」ワイナリーの設立でした。

     私はもともとお酒も弱く、ワインもほとんど飲みませんでした。そんな私がなぜワイナリーを?という質問をよく受けます。当初は、宮城県の特産であるイチゴで複合施設を提案しようと考えていました。それがワインになったのは、二つの場所を訪れたことがきっかけです。

     一つは、震災前に伺った金沢市にあるブドウ農園「ぶどうの木」です。ブドウ園には複数のレストラン、チャペル、しゃれたショップがあり多くの人でにぎわっていました。農園といえばもっと地味なものを想像していたので、「農業でここまで出来るんだ」とカルチャーショックを受けました。

     もう一つは、12年に行った新潟市の「カーブドッチワイナリー」です。1992年に始まったこのワイナリーは、ブドウ畑もワイナリーも何もなかったところからワインの一大産地と観光地を築いたのです。復興計画のアイデアを探していた私は「これだ!」と思いました。

     いろいろ調べていくと、国内で育てたブドウのみを原料とする「日本ワイン」がブームであることを知りました。また、ワインは他の産業、特に食との結びつきが強いうえ、観光など多くの産業への波及効果が期待できることもわかってきました。震災前には宮城県にあった唯一のワイナリーが、震災でなくなってしまったということも、ワイナリーづくりを後押ししました。


    2016年03月16日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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