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    計1万8000人を超す死者・行方不明者を出した東日本大震災。発生から5年を迎える被災地で復興に情熱を傾ける人々の姿、再生に向けた足取り、災害の教訓を生かす取り組みをお伝えします。
    震災6年

    守りたい、横丁の灯火~岩手・釜石

    • 「助六」の店主、藤原ヨウ子さん
      「助六」の店主、藤原ヨウ子さん

     岩手県釜石市の港に近い繁華街にかつて、懐かしいムードの飲食店が並ぶ「呑ん兵衛横丁」があった。どこもカウンターだけの小さな店。切り盛りする女将も愛された。そんな名物横丁の全てを津波が流し去った。多くは仮設店舗に越したが、退去期限が1年後に。そのまま廃業か、新たな出費を払って移転するか、女将たちは選択を迫られている。(地方部  松崎美保)

     「ママさん。新装開店おめでとう」「ずっと元気でね」。1月27日、「釜石漁火酒場かまりば」の一室に入居した「助六」のオープン初日。待ちかねた常連客らがビールで乾杯した。

     祝福を受ける女将の藤原ヨウ子さん(72)も感無量。「こうやって店があるのも皆さんのおかげ。これからまた頑張ります」と約束した。

    • 旧「呑ん兵衛横丁」近くにオープンした「かまりば」(岩手県釜石市大町で)
      旧「呑ん兵衛横丁」近くにオープンした「かまりば」(岩手県釜石市大町で)

     「助六」は被災前の旧横丁時代から続く店。震災でまず釜石駅に近く、入居無料の仮設の「呑ん兵衛横丁」、さらに「かまりば」へ移った。内装こそ真新しいが、手料理の味もお客の顔ぶれも昔と変わらない。

     「かまりば」は民間会社が市有地を借りて運営し、大小の飲食店が集まった共同店舗で、釜石の新たな盛り場になった。旧横丁にも近い。

     旧横丁からは「助六」など3店が仮設の横丁を経て「かまりば」に入った。ただ、ほかは洋風居酒屋などが多く、雰囲気は旧横丁とは異なる。

    ◇    ◇

    • 旧「呑ん兵衛横丁」の12人の店主たち。震災後初めての冬、彼女たちに3人を加えた15人で仮設の横丁で営業を再開した(藤原ヨウ子さん提供)
      旧「呑ん兵衛横丁」の12人の店主たち。震災後初めての冬、彼女たちに3人を加えた15人で仮設の横丁で営業を再開した(藤原ヨウ子さん提供)

     「助六」に藤原さんを含め、女性ばかり12人で撮った写真が飾ってある。全員が旧横丁の女将。旧横丁は震災前は26店を数えた。震災後、このうち15人の女将が仮設で再起した。写真はその中の12人が再起への誓いと希望を込めて撮ったものだ。

     しかし、15人ののちの道は一つではなかった。1人が亡くなり、1人が廃業。3人が「かまりば」、2人が市内他所に店舗物件を見つけ、仮設を去った。残る8人が今も仮設でのれんを下げる。

     市は2019年ラグビーW杯を控え、復興の象徴にすべく駅前の一部を公園に再整備する計画だ。仮設も対象地域に含まれ、計画通りに進めば、店はどこも同3月末の撤去までしか営業できない。

     ではなぜ、8人は「かまりば」での再出発を選ばなかったのか…。

    ◇    ◇

     仮設の店「とんぼ」は高橋津江子さん(75)が作るお袋の味が人気で、午後7時には満席になる。「助六」と同じく旧横丁以来ののれん。通い続ける誰もが店の存続を願っている。

     もちろん高橋さん本人も。だが、「かまりば」への移転は「今でも経営はぎりぎりなのに、資金的に無理」とあきらめている。

     関係者によると、「かまりば」への出店には100万円超の初期経費、その後も月3万円弱の家賃を払わなければいけない。被災した小店主にはちゅうちょする額だ。

     「家賃を払ってでもいいから、このまま店を守りたい」。高橋さんは仮設の期限延長に期待をつなぐ。

    • 「(お客さんが)かわいいからねぇ」と客の話を聞く高橋さん(左)。そのまなざしは「お母さん」そのもの(釜石市鈴子町の「とんぼ」で)
      「(お客さんが)かわいいからねぇ」と客の話を聞く高橋さん(左)。そのまなざしは「お母さん」そのもの(釜石市鈴子町の「とんぼ」で)
    • 今も8店舗が営業する仮設の「呑ん兵衛横丁」(釜石市鈴子町で)
      今も8店舗が営業する仮設の「呑ん兵衛横丁」(釜石市鈴子町で)

    ◇    ◇

    • 津波被害に遭う前の「呑ん兵衛横丁」(年代不明、高橋津江子さん提供)
      津波被害に遭う前の「呑ん兵衛横丁」(年代不明、高橋津江子さん提供)

     呑ん兵衛横丁は昭和30年代、戦争で夫を失った女性たちが生活のため、狭い水路に板を敷き、その上に店を開いたのが始まりという。

     魅力は安さと女将の親しみやすさ。漁師や鉄鋼マン、ラグビー選手らが美酒とくつろぎを求めて通い、最盛期は30店を超えた。

     そんな歴史を最も良く知るのが、横丁の最古参、味噌おでんが自慢の「お恵」の女将菊池悠子さん(78)。菊池さんはよそに移らず、あえて仮設にとどまる。「ここの仲間を残して行くわけにはいかないから」

     とはいえ、仮設閉鎖後の見通しは立っていない。「みんな迷ってるんじゃないかな。どうにかなんねかな」。12人で撮った写真を今も時折眺めるという。

     高橋さんも自分も入った写真を今も大切に手元に置く。「ずっとやってきた横丁の仲間。バラバラじゃ横丁じゃない」と、思いは複雑だ。

     「助六」の藤原さんの心境も同じ。「(新装開店は)悩みました。私だってお金も無いけど、年だからどこも使ってくれないし。横丁の皆さんにもずいぶん助けられたので、今も心の支え。みんなでこちらに移れれば最高なんですが」

     震災から6年。店をたたむか、続けるか。苦難の末に再起を果たした女将がまた新たな岐路に立つ。「こぢんまりでもいい。なんとか横丁の存続を」と願い、仮設の店に立ち続ける女将。一方、不安を抱えつつも「かまりば」に移り新たな店を開いた女将。どちらも客から愛される「お母さん」だ。進む道は違っても、必死に、それぞれの希望をつなごうとしている。

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    【動画】:笑顔の合間ににじむ寂しさ…「横丁のお母さん」と常連客たち

    2017年03月24日 14時03分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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