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    計1万8000人を超す死者・行方不明者を出した東日本大震災。発生から5年を迎える被災地で復興に情熱を傾ける人々の姿、再生に向けた足取り、災害の教訓を生かす取り組みをお伝えします。
    震災6年

    被災地に音楽で心寄せて~宮城・亘理に捧げる新曲

     東日本大震災で被災した宮城県亘理町を中心に支援活動を続けるインドネシア出身の音楽家がいる。震災直後からたびたび同町を訪れ、音楽や絵画などを通じて被災地の人たちの心を和ませ、2月にはこの6年間の思いを込めて作曲した新曲を同町で初披露、これからも寄り添い続けることを誓った。(社会部 石橋武治)

    • 被災者と共にステージで演奏するダンケルマンさん
      被災者と共にステージで演奏するダンケルマンさん

     この音楽家は、電子オルガン奏者のセリア・ダンケルマンさん。2012年から同町で「はぁーとハート」と題した音楽会を毎年2月に開いている。

     2月10日、郷土資料館で開かれた音楽会には自らが指導する地元の保育園児らが出演。みごとな歌や楽器の演奏の後、新曲「ことば無くそばにいる」が演奏された。園児たちはダンケルマンさんのピアノ伴奏に合わせ、題名の通りハミングで歌い、中ほどで「そばにいる」と語りかける。シンプルな歌が心に響いたのか、詰めかけた保護者や町の人たちからひと際大きな拍手が沸いた。

     ダンケルマンさんは14歳で電子オルガンを始め、音楽家として現地で名をはせていた。

     38年前に留学生として来日、尚美学園(東京)で学びながら演奏活動を始め、拠点となった日本で米国籍のユダヤ教徒である夫と結婚。そのつながりで「イスラエル人」として生きるようになった。

    • 震災発生後、イスラエルのレスキューチームと共に被災地へ(ダンケルマンさん提供)
      震災発生後、イスラエルのレスキューチームと共に被災地へ(ダンケルマンさん提供)

     震災直後、当時の駐日イスラエル大使からレスキューチームの案内役に起用されたダンケルマンさんは発生翌月に被災地入り。外国人チームを受け入れる自治体を探した末、亘理町で支援活動を始めた。

     避難所を巡り、被災者たちと会話するうち、彼らが心に傷を負っていることに気づいた。被災者から「震災後、初めて感情を出すことができた」という言葉を聞き、ひらめいた。「自分は芸術家。言葉もいいけれど、音楽やアートを通じて彼らと向き合えたら」。音楽会のほか、絵画、編み物などの作品づくり体験を重ねてきた。

     多くの人たちの声を聞いた。子供を救うために命を落とした幼稚園職員と最後に言葉を交わした教諭が「(私は)生きていて良いのだろうか」と泣き崩れ、その体を受け止めた。家に引きこもっていた小学生の女の子が、仮設住宅の集会所に出て来て、笑顔で絵を描いてくれるようになった。「(ダンケルマンさんから)元気をもらってきた。自分や自分たちの町には、誇れるものがあると教えてもらった」と相談にのってもらった女性(45)は話す。

     「ずっと、そばにいよう」-―。

     ダンケルマンさんは月の半分を同町で過ごし、東京と往復する日々だ。将来の町づくりを話し合う同町の「総合計画審議会」の委員として、世界と触れ合う大切さなど、教育分野の提言。その傍ら、被災した人たちを東京旅行に連れ出したり、一緒に音楽を楽しんだりと、「心の復興」を担う。

    • イベントで子どもたちと触れ合うダンケルマンさん(左)
      イベントで子どもたちと触れ合うダンケルマンさん(左)

     「今の楽しみは、高校生たちの成長。子どもたちは町でけでなく、世界の宝だから」。町内の高校に通う生徒の希望者を対象に、「リーダーシップとは何か」をテーマにした講座を毎月行っている。講座に参加し、その後北海道の大学に進学した佐藤美鈴さん(19)は「引っ込み思案な私に、人と話す楽しさを教えてくれ、自信をもてるようになった」と感謝する。

     今月卒業した生徒の2人には海外留学を勧めている。「広い世界を見て、成長する子たちってすてきじゃない?」

     ダンケルマンさんの思いは、この町の未来とともにある。

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    【動画】:亘理町の被災者とともに…ダンケルマンさんの活動

    2017年03月24日 11時36分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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