メダル倍増計画

強化費を重点種目に投入

 金メダル16個を獲得した1964年の東京五輪をピークに、長期低落傾向にある日本スポーツ界。その流れに歯止めをかけ、「スポーツ先進国」としての地位確立へと攻勢をかけるために打ち出されたのが、2000年9月に国が策定した「スポーツ振興基本計画」だ。この計画では、1996年アトランタ五輪の際のメダル獲得数をメダル総数で割った値(獲得率)=1.7%を基に、10年後にはその2倍強に相当する3.5%まで伸ばすことを目標に掲げる。いわば「メダル倍増計画」。これを受けて、日本オリンピック委員会(JOC)は、実現するための方策として「ゴールドプラン」を作成し、国策遂行に向けてまい進することになった。

 強化費をばらまくのではなく、メダル有望種目に重点的に手厚く配分するのも、その一環。また、「チームゲームの活躍が五輪を盛り上げる」(竹田恒和JOC会長)との考えから、団体種目へのテコ入れも強化した。効率よい強化費の使用と医科学、情報戦略の活用、一貫指導の確立が、目標達成には不可欠。当面のターゲットはアテネ五輪での活躍だ。JOCのサポートの下、競技団体もメダルを増やそうと懸命になっている。

 2003年7月にスペイン・バルセロナで行われた水泳の世界選手権で、北島康介(東京SC)が男子100、200m平泳ぎをともに世界記録で制した。アテネ五輪で、男子では1988年ソウル五輪男子100m背泳ぎの鈴木大地以来となる金メダル獲得が現実味を帯びる快挙だった。しかも、競泳五輪史上15個のうち7個を占める平泳ぎでの「金」獲得は、お家芸復活を内外に強く印象づけた。

 日本競泳の五輪金メダルは、92年バルセロナ五輪女子平泳ぎ200mの岩崎恭子が最後。96年アトランタ五輪はメダルなしに終わった。危機感を持った日本水泳連盟では少数精鋭主義を打ち出し、「世界と戦う集団」を編成してシドニー五輪に臨んだ。その結果、銀メダル2個、銅メダル2個と、一定の成果を上げた。

意欲高めたプロ化の流れ

 最近は高地トレーニングや海外での試合に慣れるための遠征を積極的に行うようになってきた。欧州で開催されたバルセロナ世界選手権では北島の金メダルを始めとする金2、銀1、銅3と、競泳では世界選手権史上最多のメダルを獲得する躍進に結びつけた。メダリストは海外遠征を何度も経験している選手ばかり。大舞台での力の出し方を知っている選手が増えたことも、メダルラッシュの要因だった。

 また、プロ化の流れも選手のモチベーションを高める上で一役買っている。水連は、世界選手権と五輪の個人種目メダリストにはC M 出演などを認めたり、大会賞金を本人が受け取ることができるように規則を改定するなど、厳格だったアマチュアリズムを徐々に緩和している。北島のようなトップスイマーがプロとして露出することで、水泳人口の拡大や競技力の向上がもたらされる効果も期待されている。

 男子の体操競技は、かつて五輪、世界選手権を通じて団体戦10連覇を成し遂げ、「体操ニッポン」と呼ばれる黄金時代を作った。しかし、その後は徐々に低迷。96年のアトランタ五輪、2000年のシドニー五輪では個人戦を含めて表彰台に上がることもなく終わった。

 シドニー五輪終了後、日本体操協会内部でわき上がったのは「アテネでメダルなしは許されない」という声だった。これを受けて大幅な役員の若返りが図られ、目標を「アテネ五輪でのメダル獲得」に定める方針を決定。ヒト、モノ、カネという強化に欠かせない3要素をどうするかの問題も詰められ、男子強化のために最大限の努力を払うことが確認された。まずは選手の動機付け。全日本選手権、NHK杯という2大国内大会を男子に限り賞金大会化し、選手への“プロ意識”注入を図った。また、代表合宿施設に、03年世界選手権(8月、米国)で実際に使用された器具を設置し、器具に慣れる環境を整備。さらに、世界選手権への往路の航空機でビジネスクラスを利用させ、万全のコンディションで試合に臨めるよう便宜を図った。この結果、男子は同選手権団体戦で4大会ぶりのメダルを得てアテネ五輪の団体戦出場権を獲得。さらに、冨田洋之(セントラルスポーツ)が個人総合で銅メダル、個人種目別では鹿島丈博(セントラル)があん馬と鉄棒で2個の金メダルを獲得するなど、アテネ五輪に向けて弾みをつけた。

団体競技へのテコ入れも

お家芸復活へ素材発掘計画

 1972年のミュンヘン大会男子、76年のモントリオール大会女子の金メダル以降、低迷する日本バレーボール。2000年シドニー大会で史上初めて男女ともに出場権を失うと、女子は02年世界選手権で1次予選敗退、男子も03年のアジア選手権で7位と、いずれも過去最悪の成績に沈んだ。かつてのお家芸の復活に向け、関係者の模索は続いている。

 バスケットボールとの間で激しい草刈り場となる中学生などの若い世代で、長身の好素材が集まらないのが悩みの種。男子はこのままでは08年以降の代表チーム編成が厳しくなるとの危機感から、02年度、日本協会内に長身者発掘プロジェクトを設置した。素材発掘が比較的順調に進む女子は、世代交代を進め、国際大会で身長1m85を超す19歳のコンビを日本代表の主軸に据え、経験を積ませてきた。また世界でメダルを狙うために大型セッターが必要と02年秋には17歳で1m80の高校生セッターを代表の一員に加えた。ジュニア世代との人材交流を活発化させることで、アテネはもとより北京五輪を見据えた強化が進められている。

 企業スポーツの崩壊が進む中、国内リーグの繁栄なくして代表強化はあり得ない。02〜03年シーズンの入場者数が過去最低を記録したVリーグのテコ入れも始まった。今季は一部カードでホーム・アンド・アウエイ方式を取り入れるなど運営面での改革を進め、国内トップリーグのステータスの確立、世界につながるリーグ作りを目指している。 (松本浩行、千葉直樹、岡田卓史)

メモ

金100個目は?  日本が夏季五輪で取った金メダルの総数は98個。記念すべき100個目は2004年アテネ五輪で達成される公算が大きい。候補は、大会序盤にある柔道、競泳か。柔道なら女子の田村亮子(トヨタ自動車)が連覇を達成した瞬間が100個目かもしれない。競泳なら男子100、200m平泳ぎの世界記録保持者の北島康介(東京SC)だろう。1992年バルセロナ五輪女子200m平泳ぎの岩崎恭子以来となる五輪の「金」を世界記録で決めれば伝説となるはずだ。


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