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出島武春
【父の夢果たした「白い稲妻」】
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でじま・たけはる=力士。1974年生まれ。96年春場所初土俵。97年春場所新入幕。99年名古屋場所で初優勝を果たし、場所後、大関に昇進。中央大卒。金沢市出身
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1999年7月の名古屋場所は、出島の独り舞台だった。関脇として、横綱、大関陣を総なめにして初優勝。3賞すべてを受賞し、場所後に大関昇進。あふれる才能が一気に開花した場所だった。
横綱輪島を生んだ石川県の出身。父、洋一さんはかつて金沢高相撲部に在籍し、輪島の1年先輩にあたる。父の血を受け継いだ武春は小学校1年生の時から相撲を始め、金沢市立工業高から中央大に進学。大学時代には11ものタイトルを獲得する逸材に成長する。
だが、大相撲入りは迷った末の決断だった。タイトルは数多く獲得したが、学生横綱のタイトルだけには縁がない。大学卒業前の95年11月。金沢市内の実家に戻った出島は両親に正直な気持ちを漏らした。「80%は(大相撲に)行きたいけど、20%は不安。ものになるかどうかわからない」。慎重な性格の息子を勇気づけたのは父だった。「人生は一度しかない。かけてみろ」。洋一さんは鎖骨を複雑骨折して、相撲を断念している。そんな無念の気持ちを息子が引き継いだ。
プロに入った出島の相撲には迷いがなかった。迫力十分の押し相撲で、トントン拍子に出世。初土俵から3場所を経て、十両に昇進し、十両も3場所を費やしただけで新入幕。その場所に11勝4敗で敢闘賞と技能賞を受賞。色白の体で、閃光のように一気に押し出す取口から、いつしか、「白い稲妻」というニックネームもついた。
しかし、新関脇で迎えた97年の九州場所。7日目の玉春日戦で左足首のじん帯を断裂し、全治3か月の重傷を負う。3場所連続休場。「もう土俵に立てないかもしれない」。弱気になったこともあった。それでも、入院中に寄せられた地元の後援会やファンの声に励まされ、再起を目指した。「もう1回、上を目指そう」。初Vを達成した名古屋場所の千秋楽。館内には、大相撲では異例の「出島コール」が沸き上がった。ファンを魅了するスピードと出足。大相撲新時代を担うニューヒーロー誕生の瞬間でもあった。
学生相撲出身の大関昇進は83年の朝潮以来、16年ぶり4人目。昇進伝達の使者を迎える口上では「力の武士(もののふ)を目指し、精進、努力する」と語った。真っ向勝負のサムライ魂で、土俵に熱い風を送る。
(荒井 秀一)
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