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金正日
【肉声も知れぬ最高権力者】
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キム・ジョンイル=北朝鮮の朝鮮労働党総書記。1942年生まれ。故金日成国家主席の長男。74年党中央委員会総会で後継者に指名され、80年の党大会で表舞台に登場
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1998年10月、訪朝中の韓国の大財閥、現代グループの総裁、鄭周永名誉会長の宿舎に姿を現した。記念撮影では、鄭名誉会長に「年長の方がまん中に立ってください」と勧めて、長幼の序を重んじてみせた。
会談では、同グループが始めた北朝鮮の名勝、金剛山での観光事業について、「積極的に進めてくれればありがたい」と語り、共同油田開発構想についても前向きな発言をして、南北経済協力に積極的な姿勢を示した。朝鮮半島ではいまだに南北間で軍事的対峙(たいじ)が続き、北朝鮮は、核兵器開発疑惑、ミサイル開発で、北東アジア地域の安定を脅かしてきた。その北朝鮮の最高権力者であり、なぞの多い人物の肉声が伝えられた数少ない例だ。
父親の金日成国家主席が94年に死去した際には、国外には、後継者としての力量を疑問視し、北朝鮮の崩壊を予測する向きさえあった。しかし、97年10月に労働党総書記に就任、98年9月には、「国家の最高ポスト」とされた国防委員長に再任され、名実ともに北朝鮮の最高指導者として国家機関人事を掌握。99年には、5年ぶりに予算を発表して、国家機能の正常化をアピールした。
一方で、西側要人との会談は、ほとんどなく、公開の場の演説もしていない。書記時代にさかのぼっても、大衆の前での肉声は、92年4月、建軍式典で、「英雄的朝鮮人民軍将兵らに栄光あれ」と宣したただ1回が、知られているのみだ。
冷戦終結以降、激変する世界の中で、国家をどうかじ取りしていくのか、国際社会とどういう関係を構築していくのか……。こうした大きな見取り図に関して、「著作」は数多いものの、なぜかいまだに肉声では語っていない。
北朝鮮の公式メディアが金正日時代に入って、さかんに打ち出しているスローガンが、「強盛大国」建設だ。思想、軍事、経済、そのすべての分野で、「社会主義強国」を建設しようというものだ。
かつて北朝鮮の最高指導部の一員であり、97年に韓国に亡命した黄長カ(※1)・元労働党書記は、金正日体制の生き残り戦略とは、「個人独裁を強化し、軍隊を強化して、強盛大国を作ることによって、経済問題も解決する」というものと解説する。
国家主席の職を憲法から廃止し、みずからは国防委員長として支配する道を選んだ点にも、軍を最重視する姿勢は明らかだ。
他方、北朝鮮の経済は極度の不振に陥ったままで、餓死者が95年から98年に27万人出た(韓国政府推定)といわれるほど、国民生活に深刻な影響が出ている。 ソ連・東欧の共産主義体制が崩壊して、重要な貿易パートナーを失い、盟友、中国も市場経済への道を走る。こうした環境の中で、経済の立て直しができるか否かが、生き残りの決め手となろう。北朝鮮の名勝、金剛山開発の代価として、北朝鮮に9億4千万j余りの送金を約束した現代グループの鄭名誉会長に、自ら会ったのは、その自覚の現れでもある。中国を83年に非公式訪問して、トウ(※2)小平副首相(当時)らと会談し、北京、上海などを見学したことがあるが、中国式の改革・開放については、導入を拒み続けている。父から子へと代替わりしても、西側からの情報・人的交流を厳しく制限し、体制を維持している点では変わりがない。
書記時代には、映画や歌劇に強い関心を示し、時には個々の作品の制作に自ら指示を与えた。
78年に北朝鮮に拉致(らち)され、のちに韓国に帰還した韓国の映画監督、申相玉氏には、北朝鮮の映画の水準を向上させるという願望を延々と語ったという。申氏によると、平壌のフィルム・ライブラリーは、大都市の中学校くらいの大きさの3階建ての建物で、欧米、日本、韓国、共産圏など世界各国の映画約1万5000本が収蔵されていたが、「金正日が推薦する人以外は近づけない」統制がしかれていた。
抜本的な経済立て直しのためには、経済開放が必要だが、開放は情報と人の流入をもたらし、体制の動揺につながる。その危険を十分に理解していると見えるが、それでもあえて、開放への道を歩むのか否か。すべてはこの人物にかかっている。
(※1)=「火」扁に「華」、(※2)=「登」に「おおざと」
(森 千春)
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