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(63)パラリンピック閉幕 北京の街はどう変わった?障害者スポーツの祭典・北京パラリンピックが9月17日に閉幕しました。8月8日の五輪開幕から約1か月半にわたった一大スポーツイベントは、これで全て終了です。多くの外国人を受け入れ、沸いた北京の街はどのように変わったのでしょうか。 マスコット「福牛」が“乱入”の大パーティー17日午後8時、中秋の名月を終え欠け始めた大きな月が見守るなか、国家体育場(愛称・鳥の巣)で北京パラリンピックの閉会式が始まりました。「未来への手紙」をテーマにした色鮮やかなアトラクションの後、午後9時15分ごろに大会旗が2012年の開催地ロンドンへ引き継がれました。 手話を交えた少女の歌が響く中、12日間にわたって鳥の巣で燃え続けた火力の強い聖火が静かに消されました。式典の最後には、大量の大会マスコット“福牛”がグラウンドに入り、選手、パフォーマーがぐちゃぐちゃに入り乱れて踊る、大パーティーとなりました。8月8日の五輪開幕から1か月余りに及んだ北京での一大スポーツイベントがすべて終了しました。 今大会、日本勢のメダルは、金5個、銀14個、銅8個の計27個と、史上最多だった前回アテネ大会の52個からほぼ半減しました。アテネ大会に比べ種目数が約1割減ったことや、「世界での強化が図られている」(日本パラリンピック委員会、北郷勲夫委員長)ことなどが理由として挙げられています。また、開催国の中国は金89、銀70、銅52の計211個と前回を70も上回るメダルを獲得し、2位英国に100個以上の差をつけてメダル獲得数で1位になりました。 障害者にやさしい街になった?五輪とパラリンピックの2つの国際イベントを経験した北京の街はどんな変化があったのでしょうか。 まず、環境についてですが、車いすの日本選手からは「日本よりもバリアフリーの環境が整っている」という声が多く聞かれました。しかしこれは選手が移動する非常に狭いエリアだけの話で、一歩街に出ると段差も多く、車いすでの移動は困難です。例えば、7月に開通した地下鉄10号線には各駅にエレベーターが設置されましたが、普段は電源が入っておらず、駅員さんを呼ばなければなりません。しかも駅員さんはエレベーターの近くにはいません。タクシーも、車いす用の車輌がパラリンピック開幕直前の9月上旬に導入されましたが、数が少なく、街中で見かけることはほとんどありません。 また、北京では、道幅が広く、また車が歩行者に道を譲ってくれないので、道の真ん中でお年寄りが立ち往生している姿をよく見かけます。私自身もこれまで何度も、強引に突っ込んでくる車にひかれそうになった経験があります。お年寄りや小さな子供が安心して道を渡ることができない北京の街、いわんや車いすの障害者をや、いわんや地方都市をや、というのが現状です。 今回パラリンピックに出場した中国の選手たちは、スポーツのエリートとして国家から保障されていましたが、彼らのような人たちはほんの一握りです。中国には総人口の6%強にあたる約8300万人の障害者がいると言われていますが、周囲の理解も低く、大半は職を得るのが難しいのが現状です。中国の友人に聞くと、「人が多く、競争の激しい今の社会では、健常者でさえ仕事を得るのが難しい。障害を持った人たちはもっとだ」と口をそろえます。 これまで地下鉄に乗ると、手や足のない障害をもった人が「お金をください」と拡声器を持って周ってくる姿をよく見かけましたが、五輪が近づくごとに、そのような人たちの姿は全く見なくなりました。工事現場などで働く地方からの出稼ぎ労働者が、五輪を前にふるさとに帰ったのと同じように、障害者の姿も見かけなくなったのです。全ての大会が終わり、労働者や障害を持った人たちも北京の街に戻ってきます。パラリンピックと地下鉄での障害者を比べることはできませんが、多くの異なる立場の人たちと、北京市民は今後どのように付き合っていくのでしょうか。 五輪期間中は劇的に空気がきれいに次に北京の空気についてですが、現在はここ数年、体感したことがないほど、空気がきれいです。7月20日から北京では街中の工事を全てストップし、自家用車のナンバー規制が行われることで渋滞が解消され、美しい夕焼け、月がみられる日が多くなりました。1、2年前は五輪関係の建築工事がピークを迎え、街中ほこりだらけで、外に出るだけで目がシバシバするような情況だったのを考えると劇的な変化です。9月20日からは、車のナンバー規制も解除され、街は通常の状態に戻ります。北京在住者にとっては、このきれいな空気の状態が今後も継続されていくのを望むばかりです。 パラリンピックの自国開催で、中国では障害者への関心がかつてないほど高まっています。国内では、中国選手が出場する試合を中心に、テレビ、新聞が大々的に報道し、これまで差別の激しかった障害者に対する目も徐々にですが改善されてきています。 開催前は、聖火リレーや毒ギョーザ問題など様々な事件が起こり、「本当に開催できるのか」とも言われていた大会ですが、テロなど大きな事件も起こらずに無事終了し、市民も胸をなでおろしています。北京に暮らして4年になる私自身も、2008年に向けて街がエネルギッシュに変わっていく様子に大きなパワーを感じることができました。今後は中国政府が目指す「調和のとれた社会」の実現に向け、成熟した社会づくりを行っていくわけですが、より魅力のある街となってくれることを切に願います。 ◇ 今年3月に始まった「北京をゆくっ」もこれが最後です。連載は終了しますが、今後も変わりゆく北京、そして中国を見続けていきたいと思います。最後までお付き合いありがとうございました。どこかでお会いできるのを楽しみに……非常感謝! 難説再見! (2008年9月20日 読売新聞)
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