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太田「銀」…サムライ才能証明

フェンシング男子フルーレ個人決勝、第2セットでポイントを奪いガッツポーズする太田雄貴選手(13日夜、国家会議センター・フェンシング館で)=大久保忠司撮影

 【北京=鈴木隆弘】若きサムライが、海外の騎士たちを相手に偉業を成し遂げ、「日本フェンシング史上屈指」と言われる才能を証明した。フェンシングの男子フルーレ個人で、太田雄貴選手(22)が日本人で初めて銀メダルを手にした。誰にも負けない練習量と緻密(ちみつ)な研究で、父親から受け継いだ素質が開花。西洋生まれのフェンシングの歴史に名を刻み込んだ。

 ◆iPodに相手映像150試合分

 15点目を奪われ敗北が決まると、マスクを着けたまま天を仰いだ。この日は初戦から冷静で「接戦になっても負ける気がしなかった」と言うが、金メダルにあと一歩届かなかった。

 18歳で出場したアテネ五輪は9位。周囲にメダルを持ち帰れなかったことを謝り、「北京では必ず取るから、また応援に来て」と宣言していた。

 フェンシングの世界には元選手の父・義昭さん(55)に誘い込まれた。月曜と金曜は近くのフェンシングクラブ、木曜は別のスポーツクラブ、週末は義昭さんの母校……。小学校3年から義昭さんに連れられて毎日、練習場所を渡り歩いた。

 物陰でもじもじして、なかなか体育館に入って来ないような子どもだったが、フェンシングはたちまち上達。半年後には小学生の全国大会で優勝、勝つことの面白さを知って、競技にのめり込んだ。

 フェンシングの名門・平安中(現・龍谷大付属平安中)に入学後、2泊3日の学校行事があった。初日の夕方に「練習が途切れるのが嫌だ」と義昭さんに電話をかけ、宿泊先の寺の境内で練習に付きあわせた。家族旅行をしても、必ず道具は持ち歩いた。

 武器は剣さばきのうまさとスピード。母校のフェンシング部の竹内智一監督(48)は「野球なら、時速150キロの剛速球を投げるようなもの」と非凡さを形容する。

 アテネ後は研究熱心さも増した。「対戦相手の分析が全然違うんですよ」と言う太田選手の手にあるのはデジタル携帯音楽プレーヤー「iPod」。北京で対戦が予想される選手の試合映像を150試合分も記録し、練習意欲が高まらない時には、強い選手の映像を見ていたという。

 「同じルールでやるなら男として負けたくない」「決勝の相手にはこれまで連戦連敗。それが男として悔しい」。言葉の端々に勝負へのこだわりをのぞかせる。

 決勝の後、報道陣から「両親に言うことは」と尋ねられると、「フェンシングを始めるきっかけをくれて、ありがとうと言いたい」と照れくさそうに話した。

2008年8月14日10時42分  読売新聞)
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