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    読売新聞で振り返る五輪名場面

    有森、谷口、Qちゃん…名セリフに彩られたマラソン

    メディア局編集部 二居隆司

    充実感あふれていたレース後の円谷のコメント

    • 円谷の健闘をたたえる1964年10月22日付読売新聞朝刊社会面
      円谷の健闘をたたえる1964年10月22日付読売新聞朝刊社会面

     日本の五輪史で最も悲しいエピソードとして語られるのが、東京五輪マラソンの円谷幸吉の銅メダルとそれに続く自殺だろう。優勝は、“裸足の王者”アベベ(エチオピア)。円谷は2位で、ゴールのある国立競技場に飛び込んできた。

     ところが、すぐ後ろをヒートリー(英)が迫っていることを円谷は気がつかない。レース中、決して後ろを振り向かないのが円谷の信条だ。バックストレートでヒートリーに抜き去られた円谷には、もう挽回する力は残っていなかった。

     ゴール直前で抜き去られ、銅メダルに終わったことに悔しい思いを抱いていたのかと思いきや、ゴール後の円谷のコメントは「日の丸があげられるなんて、夢みたいです。うれしくて。ハイ」(1964年10月22日付読売新聞朝刊社会面)とあるように、充実感にあふれたものだった。

     のちの報道では、「国立競技場で抜かれたことを苦にして……」というような伝えられ方もされたが、実際はそうでないようだ。円谷が苦しんだのは、むしろ次回メキシコでのリベンジに向け調整を続けるなか、椎間板ヘルニアの手術と右アキレス(けん)の負傷で思うように練習できなくなった67年夏ごろからだ。

    「激しい練習のあとビールを二はい」

    • 近藤日出造による「にっぽん人物画」円谷幸吉の回(1963年10月7日付読売新聞朝刊)
      近藤日出造による「にっぽん人物画」円谷幸吉の回(1963年10月7日付読売新聞朝刊)

     当時、陸上競技としては、28年ぶりのメダルである。「円谷 銅メダル」を伝える当時の読売新聞の見出しも、「日本をわかせた円谷」「根かぎり力のかぎり」「“日の丸”へひた走り」「浩宮さまも夢中で拍手」と好意的な調子が目につく。

     ゴール後のコメントが載った先の紙面には、円谷のプロフィルも紹介されており、こう書かれている。

     「たばこもすわず、酒ものまない。激しい練習のあとビールを二はい、それでまっかになってよく眠る。あと五年は独身だといい、女性からのファンレターがくると、テレてろくに読まず机の中にしまい込む」

     ここで「柔道」の回に続いて、再び当時の人気漫画家・近藤日出造にご登場いただく。近藤は当時、朝刊に「にっぽん人物画」というコラムを連載していた。東京五輪の前の年、63年10月7日付の同コーナーで円谷を取り上げている。近藤は、実際に取材で接した円谷をこう評している。

     「日本にはまだ、かような『模範青年』がいた。絶望もなく、虚無もなく、反逆もなく、深夜喫茶もなく…」

     のちの円谷の悲劇を知る身としては、読んでいて胸が詰まるくだりだ。

    2016年08月03日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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