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    カーリング

    “手作り”が懐かしいカーリングの聖地「常呂町」

    • カーリングに熱中する常呂の人たち(常呂カーリング倶楽部提供)
      カーリングに熱中する常呂の人たち(常呂カーリング倶楽部提供)

     カーリングは15世紀頃にスコットランドで発祥したとされるが、日本での歴史は意外と短い。1980年前後、カナダから冬のスポーツとして北海道に伝わってから、今のように国際大会で世界の強豪国と肩を並べるまでわずか40年足らず。競技として普及し始めた頃の日本カーリングの歴史をまとめた。(笠井智大)

     カーリングが日本に持ち込まれたのはもっと前という説もある。だが、今のカーリングを遡ると、1980年1月に北海道池田町で開かれたカーリング講習会に行き着く。北海道と姉妹都市提携を結ぶカナダ・アルバータ州の事業で、カナダの国民的スポーツであるカーリングが紹介されたのだ。

     この講習会に旧常呂町(現北見市)から3人の男性が参加した。氷上をほうき(ブルーム)で掃きながら石(ストーン)を滑らせ、約40メートル先の円(ハウス)の真ん中で止めるという単純なゲームだが、そこに潜む奥深さがカーリングの魅力。その点に最も興味を示したのが、酒店を経営していた小栗祐治さんという熱血漢だった。

    • カーリングの父と呼ばれる小栗祐治さん(常呂カーリング倶楽部提供)
      カーリングの父と呼ばれる小栗祐治さん(常呂カーリング倶楽部提供)
    • 初期の手作りストーン
      初期の手作りストーン

     新しもの好きの小栗さんは常呂に戻ると、すぐに友人を呼び集めて実演してみせた。厳冬期には雪と氷に閉ざされ、農業も漁業も成り立たない常呂の人たちは、娯楽に飢えていた。力の弱い女性も「これならできる」と、仲間はあっという間に増えていったという。

     とはいえ、正式なストーンはまだ手に入らなかったため、金属製のビア(だる)やガスボンベを加工・溶接して代用した。ブルームの代わりに毛ブラシを使った。競技としての面白さを確信した小栗さんは、その年に常呂カーリング協会を設立し、指導者の育成に力を入れ始めた。翌年2月、元世界チャンピオンでカナダ・アルバータ州在住のウォーリー・ウースリアク氏による講習会が開催され、普及活動は本格化していった。

    厳冬期に徹夜でリンクを作る 醍醐 ( だいご )

    • 多くのカーラーを育てた旧常呂町カーリングホール。現在は閉鎖されている
      多くのカーラーを育てた旧常呂町カーリングホール。現在は閉鎖されている
    • 使いこまれたストーン
      使いこまれたストーン

     当初、リンクは地面に直接水をまいて造成したが、昼になると土の色が太陽光を吸収して氷が解けてしまった。そこで、雪を水平に踏み固めてから水をまく方法に切り替えた。その水も大量にまくと、表面だけが凍ってしまう。試行錯誤のうえ、落ち葉や砂を丁寧に手で取り除いては薄く水を張り、完全に凍るのを待ってまた水をまくという方法にたどり着いた。

     極寒の中でのリンク作りは徹夜の作業となった。一見、苦行にも思えるリンク作りだが、実はこれも大きな楽しみだった。小栗さんから最初にカーリングを伝授された一人で、同町の藤吉忍さん(72)は、「冬場、娯楽の少ない町民にとっては大切な交流の場となった」と懐かしがる。30分おきに水をまいてはプレハブに戻り、冷えきった体をホットウイスキーやコーヒーで温めて、カーリングや互いの家族の話に花を咲かせたという。

     カーリングは常呂で着実にその根を張り巡らせていく。1988年1月、町内に国内初となるカーリング専用の屋内リンク「常呂町カーリングホール」がオープンした。国際規約規格に合った5シートを備え、一定の氷温管理ができるようになった。屋外リンクの時代は終わりを告げ、自然環境に左右されずに練習ができるようになって競技性が飛躍的に高まっていく。

    教育現場から裾野を広げたカーリング

    • 授業でカーリングに取り組む北海道常呂高校の生徒たち(北海道常呂高校提供)
      授業でカーリングに取り組む北海道常呂高校の生徒たち(北海道常呂高校提供)

     1990年からは町内の小学校で冬場の体育の授業にカーリングが取り入れられ、その後、中学、高校にも広がった。1998年の長野オリンピックから、カーリングはオリンピックの正式競技に。長野大会には、弱冠20歳でスキップを務めた敦賀信人さんら、常呂から5人(男子3人、女子2人)が出場し、常呂は「カーリングの町」として一気に知名度を高めた。カーラー(カーリング競技者)は子どもたちの世代にも広がっていった。

    • 聖地のシンボル「アドヴィックス常呂カーリングホール」
      聖地のシンボル「アドヴィックス常呂カーリングホール」
    • 多くのカーラーが訪れる「カフェ・しゃべりたい」の名物、流氷ソーダとチキンカツカレー
      多くのカーラーが訪れる「カフェ・しゃべりたい」の名物、流氷ソーダとチキンカツカレー

     2013年11月、常呂カーリングホールは隣接地に建設された「アドヴィックス常呂カーリングホール」に生まれ変わった。通年型で国内最大の6シートを備えた最高水準のリンクには、国際大会に限らず、海外チームが強化合宿にやってくるようになった。

     自他ともに認めるカーリングの聖地となった旧常呂町。その礎を築いた小栗さんは高齢になってからもホールに顔を出し、カーラーとの交流を楽しんだ。数々のオリンピック選手を見いだし、直接指導にも当たってきた。地元の女子チーム「LS北見」の主将、本橋麻里さんもその一人。日本カーリングの父、小栗さんのことを知らない人は町内には見当たらないほど親しまれたが、2017年5月に肺がんのため、88歳で亡くなった。

     前出の藤吉さんは言う。「カーリングが上手とか下手ではない。小栗さんは人をその気にさせるのが上手だったし、夢があった」。平昌(ピョンチャン)オリンピック出場を決めたLS北見をはじめ、その夢は次の世代に確実に引き継がれている。

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    2018年02月13日 16時15分 Copyright © The Yomiuri Shimbun

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    OARはロシアからの五輪選手
    日本の獲得メダル 2 5 3
    国別メダル
    1 norノルウェー 11 9 8
    2 gerドイツ 10 6 4
    3 canカナダ 6 5 6
    9 kor韓国 3 2 2
    10 jpn日本 2 5 3

    2/19 23:29

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