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    冬のオリンピックこぼれ話

    妹に誓った金 【1994年 リレハンメル】

    • リレハンメル五輪を目指し、日本ジャンプ陣の夏季合宿に参加する21歳の葛西紀明選手。1993年8月21日、札幌市で
      リレハンメル五輪を目指し、日本ジャンプ陣の夏季合宿に参加する21歳の葛西紀明選手。1993年8月21日、札幌市で

     25年前の1993年(平成5年)8月、札幌市の宮の森ジャンプ競技場。さわやかな夏の風に乗って、豪快なアーチを描く一人の若きジャンパーの姿がありました。当時まだ21歳の葛西紀明(かさい・のりあき)選手です。

     半年後に迫ったリレハンメル冬季オリンピックを目指し、日本ジャンプ陣の一員として夏季合宿をする期待の若手を、読売新聞は「ホープ・葛西 リレハンメルへジャンプ」の見出しで夕刊1面に大きく取り上げました。

     見下ろすと崖のような急斜面を、時速80キロ以上で滑り降り、眼下の札幌の街並みへ向けて飛び出していく……。「怖くないのだろうか」という記者の疑問に、葛西選手は「そりゃあ、怖いです。(中略)怖さを根性で克服して飛ぶんです」と答えています。


    難病の妹に「金メダルせんじて飲ませたい」

     実はその数か月前、葛西選手と家族にとって、つらい出来事がありました。高校に入学してまもない妹の久美子さんが、血液の難病である再生不良性貧血に侵されていることがわかったのです。

     骨髄移植しか生きる道がないと宣告されたものの、家族の骨髄は合わず、久美子さんは抗がん剤治療などを受けながら、その後、ほとんど病室で過ごすことになります。

     ノルウェーの小さな町で開かれた1994年2月のリレハンメル五輪。葛西選手にとって、19歳で初出場した前回92年のアルベールビル大会に続き、2度目のオリンピックでした。その葛西選手が大会前から口癖のように語っていた“夢”がありました。

    • リレハンメル五輪。ジャンプ団体の表彰式で、銀メダルを胸に歓声に応える日本チーム(左から岡部孝信、葛西紀明、原田雅彦、西方仁也)。1994年2月23日撮影
      リレハンメル五輪。ジャンプ団体の表彰式で、銀メダルを胸に歓声に応える日本チーム(左から岡部孝信、葛西紀明、原田雅彦、西方仁也)。1994年2月23日撮影

     「妹に金メダルをせんじて飲ませたい」――。金メダルを手渡してあげたら、妹が元気になってくれるのではという切ない思いでした。しかし最初の個人ラージヒルで、力を出し切れず14位に終わったとき、読売新聞は「葛西無念 難病の妹にメダル贈りたかった…」の見出しで、その果たせなかった兄の夢を伝えました。

     「久美子さんも、(北海道の)入院中の病室で、主治医の特別許可で消灯時間後まで、テレビの兄に声援を送った」と、記事では妹のエールもリポートしています。

     リレハンメルで葛西選手は、次の個人種目ノーマルヒルで5位に入賞。さらに団体では日本のエースとして活躍、メンバーの他の3選手とともに銀メダルを手にします。

     北海道の実家近くでテレビ観戦していた母親の幸子さん(当時45歳)は「入院中の妹の久美子が一番喜ぶ」と、快挙に胸をなでおろしました。しかし、妹にいちばん見せたかった金メダルの願いはかないませんでした。

    願い込めた金のお守り ヘルメットにしのばせ

     その後1998年長野、2002年ソルトレークシティー、2006年トリノ、2010年バンクーバー、そして2014年ソチと、葛西選手はオリンピックに出場し続け、ジャンプ界の「レジェンド」(伝説)と呼ばれるようになります。

     それでも「一番の応援団」は、病床から励ましてくれる妹の久美子さんでした。姉と妹との3人きょうだいの葛西選手。小さい頃から久美子さんをとてもかわいがり、その妹も兄を「ジャンプが上手で、格好いいあこがれの存在」と慕ってきました。

    • トリノ五輪。ジャンプ個人ノーマルヒルの葛西紀明選手のフォーム。トリノ五輪では、妹から贈られた金色のお守りをヘルメットに入れた。2006年2月12日撮影
      トリノ五輪。ジャンプ個人ノーマルヒルの葛西紀明選手のフォーム。トリノ五輪では、妹から贈られた金色のお守りをヘルメットに入れた。2006年2月12日撮影

     久美子さんの病状は一時少し良くなり、結婚もして、薬局に働きにも出ました。2006年のトリノ・オリンピック開幕前の正月。久美子さんは、兄と幼いころを過ごした北海道下川町に出かけ、実家の団地前にあったジャンプ場近くの神社にお参りします。

     そこで買い求めたのは、願いを込めた金色のお守りでした。トリノへの出発前、別れ際に妹から手渡された兄は、そのお守りを「ヘルメットの中に入れて」本番に臨んだと、「闘病の妹『金』のお守り」の見出しで読売新聞は伝えています。

     しかし、久美子さんの容体はまた悪化します。2014年のソチ・オリンピックの前年の夏、肺炎をこじらせて入院。それでも、ソチの個人ラージヒルで葛西選手が銀メダルをつかんだとき、病床から「何も心配しないで飛んで」と激励の言葉が届いていました。

    長い闘病の末に 悲しみを越え新しい命

    • 妹が亡くなり迎えた最初の国内大会「HTB杯」終了後、ファンと握手する葛西紀明選手。2016年1月23日、札幌市の大倉山ジャンプ競技場で
      妹が亡くなり迎えた最初の国内大会「HTB杯」終了後、ファンと握手する葛西紀明選手。2016年1月23日、札幌市の大倉山ジャンプ競技場で

     2年後の2016年1月、久美子さんは長い闘病を終え、38歳で亡くなりました。そのとき、葛西選手は「このまま飛んでいいんでしょうか」と所属チームの監督に心のうちを打ち明けたことが、読売新聞北海道版に記されています。

     葬儀のとき遺影には、ソチ五輪後に病室を見舞った葛西選手から、首にかけてもらったメダルを、うれしそうに手にする久美子さんが写っていました。海外遠征から駆けつけた葛西選手は、その遺影の前で人目をはばからず泣いたそうです。

     独身生活に4年前決別して、自分の家庭を持った葛西選手。そして、くしくも妹の死という深い悲しみから半月後、かわいい女の赤ちゃんが生まれました。

     平昌オリンピックでは、葛西選手は初めて家族をオリンピックに招いたそうです。妻の怜奈(れいな)さん、長女の璃乃(りの)ちゃん、姉の紀子さんに見守られ、あの日、病床の妹に誓った金メダルに向かって、冬の夜空に精いっぱいのアーチを描きました。(データベース部 武中英夫)

     記事データベース「読売記事検索」で関連記事を読むことができます。難病の妹の回復を願うリレハンメル五輪の葛西選手の記事は、「平成」のタグを選び、「葛西無念 メダル」で検索を。「読売記事検索」はこちらから。

     1924年(大正13年)の第1回大会以来、今回の韓国・ 平昌 ( ピョンチャン ) で23回目を迎える冬季オリンピック。雪と氷の祭典の長い歴史には、笑いや涙を誘うエピソードもたくさん詰まっています。読売新聞の過去の記事を振り返り、異色の選手、思わぬ結末、式典の舞台裏など、観戦の楽しみが増す「こぼれ話」を拾い上げ紹介します。
    2018年02月21日 15時30分 Copyright © The Yomiuri Shimbun

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    OARはロシアからの五輪選手
    日本の獲得メダル 4 5 4
    国別メダル
    1 norノルウェー 14 14 11
    2 gerドイツ 14 10 7
    3 canカナダ 11 8 10
    7 kor韓国 5 8 4
    11 jpn日本 4 5 4

    2/25 17:17

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