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    「多能性幹細胞を用いて多面的に心臓再生に挑戦する」 iPS細胞研究所 山下潤教授

     多能性幹細胞は、体内の様々な組織や臓器に変化できる性質(多能性)を持つ特殊な細胞だ。受精卵から作る「ES細胞」(胚性幹細胞)と、複数の遺伝子を皮膚などの細胞に入れて作る「iPS細胞」(人工多能性幹細胞)の二つがある。ES細胞は1981年、iPS細胞は2006年にそれぞれマウスの細胞から作製され、後に人の細胞からも作製された。これらの多能性幹細胞を用いて血管や心臓の筋肉を作り、心臓病を治療するのが、私たちの目標だ。

    ◆ES細胞で拍動する細胞の作製に成功

     心臓病は日本人の死因の2位を占める。特に重いのが心筋症だ。心筋の機能がだんだんと衰え、収縮する力を失い、血液を送り出せなくなり、死に至る。心臓移植しか助かる道はない。国内で移植を待つ患者は1万人以上いるが、移植が行われるのは年間20~30例程度。待っている間に亡くなる人が圧倒的に多く、治療法の開発が望まれている。

     私たちは1998年頃からES細胞を用いた心臓病治療の研究を始めた。2000年には、血管と似た組織を作ることに成功した。その後、心臓と同じように拍動する細胞を作製できた。

    ◆iPS細胞が倫理的問題を解決

     ただし、ES細胞は受精卵を壊し、その一部を使って作るため、「『生命の萌芽』をつみ取っている」という批判がある。こうした倫理的問題の解決が、臨床応用に向けての大きな課題となっていた。

     06年に山中伸弥・京都大教授がマウスのiPS細胞を樹立した。皮膚などの細胞に特定の4種類の遺伝子を入れて作製した。ES細胞のような多能性を持ちつつ、倫理的な問題がないことから、世界中の注目を集めた。山中教授は07年、人のiPS細胞の作製にも成功した。

     我々はES細胞と並行して、iPS細胞を用いた研究を始めた。最近では、人のiPS細胞から作った心臓の細胞を薄いシートに加工し、心筋梗塞を起こさせたラットの心臓に貼り付ける実験を行った。細胞シートから分泌される物質により、心筋梗塞の影響で痩せた心臓の壁が分厚くなり、収縮力が回復するなど、明らかな心機能の改善が3か月以上の長期にわたって見られた。

    ◆心臓シートの構造改善

     シートを何枚も重ねて貼ることができれば、生き残る細胞も増え、心機能をより改善できる可能性がある。だが、従来の技術では、シートの真ん中の方には栄養が行き渡らず、細胞が死んでしまうため、せいぜい3枚くらいしか張れなかった。

     そこで、シートの構造に工夫を加え、真ん中のシートにも栄養が及びやすいようにした。この工夫により、15枚重ねて培養し、1週間たった後でも、真ん中のシートの機能が維持できるようになり、移植効率がぐっと上がった。

    ◆20倍も効率よく心筋細胞を作製

     iPS細胞を効率よく心筋に変化させる技術の開発にも取り組んでいる。

     iPS細胞を心筋に変化させる働きを持つ物質は、既にいくつか知られている。それらの物質をiPS細胞に加えると、心筋細胞への変化が起こるが、最終的にできる心筋細胞の数があまり多くないという問題があった。心臓病の治療に用いるには大量の心筋細胞が必要であり、従来の技術では、心筋細胞の作製効率が悪かった。

     そこで私たちは、もっと効率よく心筋に変化させられる新しい物質を探して、様々な化合物で実験した。その中で非常に効率が良かったのは、ある海洋生物由来の天然化合物だった。iPS細胞に加えると、心筋細胞が従来の20倍以上も多くできた。

     海洋生物由来の化合物は、その生物と共生する微生物が作っているが、そのような微生物の多くは培養が不可能である。つまり、世の中に広まっていないものだ。その中に、心筋を再生させるようなものがあるのではないかと考えて試したところ、うまくいったというわけだ。

     iPS細胞を心筋に誘導する試薬としての活用のほか、治療薬として使える可能性がないのかという検討も始めている。

    ◆患者の希望に

     このように、様々な工夫を積み重ねて、人の治療への応用に向けて歩みを進めている。

     ただし、未知な部分も多い。仮に今のシートを人の治療に使ったとすると、心筋梗塞にはよく効くのではないかと期待しているが、非常に症状の重い心筋症などでは十分な治療効果が得られないかもしれない。新しい細胞材料、シートの質や移植方法の向上といった新たな技術開発が今後も不可欠だ。これは決して簡単な話ではない。近いうちに移植に替わり得るのかと問われても、安易に「はい」とは答えられない。

     でも、移植を待ちながら心臓がどんどん悪くなっていく人が、細胞治療によって、それ以上悪くなるのを止めることだけでも実現したいと思っている。移植までの時間を稼げるだけでも、患者さんにとっては大きな希望になると思う。

     私たちの研究を実用化に結びつけるために最近、ベンチャー企業を設立した。iPS細胞を用いた心臓病治療を患者さんに届けるために日々、頑張っている。どこまで行けるか分からないが、この治療が将来、心臓移植に代わる希望になるよう、全力で研究に取り組みたい。

    □やました・じゅん□ 1990年、京都大医学部卒業。日本学術振興会特別研究員、京大助教授などを経て、2012年から現職。

    ◆Q&A

    Q:最初にES細胞を用いた研究をしていたのに、iPS細胞での研究も始めたのはなぜか。iPS細胞はがん化の危険性もあると聞いている。

    A:人の治療に使うという意味では、ES細胞は使いにくい。なぜなら「生命の萌芽」である受精卵を壊すという倫理的問題があるからだ。また、日本にあるES細胞は数種類しかなく、それだけではいろいろな人を治療できる細胞は用意できない。他人の細胞を移植すると、多くの場合は免疫による拒絶反応が起きるからだ。

     その点、iPS細胞は、患者本人の皮膚や血液から作ることができるので、倫理的問題がなく、免疫による拒絶反応の心配もない。医師としては、応用の可能性が高いという観点からは、iPS細胞を選ぶことになる。がん化の問題は確かにあるが、安全なiPS細胞を作ろうという取り組みが、山中教授を中心に進められてきて、安全性も高まってきている。

    Q:iPS細胞から作製した心筋細胞をうまく重ねあわせて、心臓そのものを作ることはできないのか。

    A:私見ではあるが、そうやって作った心臓がうまく機能するとは考えにくい。一口に心筋細胞といっても、心室の心筋細胞、心房の心筋細胞、刺激を伝達する心筋細胞など、様々な種類があって、それぞれが組み合わさってできている。さらに、血液の逆流を防ぐ弁などのしなやかで複雑な構造は、なかなか作ることが難しい。

     もし、心臓そのものを作ろうとするなら、人のiPS細胞を用いて動物の体の中で作るという試みの方が、移植可能な心臓を作れる可能性が高いと思う。心臓ではないが、東京大医科学研究所では、豚の体内で人の膵臓を作ることを目指している。

    Q:先生が開発を目指す心臓病治療が実用化されるのはいつか。

    A:人で治療する臨床研究は、数年以内に始めたい。動物実験で明らかに効果がある「亜急性期」の心筋梗塞には、この治療が効く可能性が高いと考えている。

     ただ、非常に症状が進行している心不全の場合は治療が難しい。そのような患者さんを救えるようになるには、正確には言えないが、10年くらいはかかるかと思う。

    2013年07月29日 Copyright © The Yomiuri Shimbun
    大阪本社社会部から
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