文字サイズ

    第一次世界大戦と現代・世界 人文科学研究所 山室信一所長

     第一次世界大戦を対象とする共同研究で焦点にすえたのは、「私たちはいかなる時空間に生きているのか」という問いだ。約100年前に始まったこの大戦は、まさに「現代の起点」なのだ。

     第二次大戦を上回る犠牲者を出した英国では、第一次世界大戦を「ザ・グレート・ウォー(大戦争)」と定冠詞付きで呼ぶ。欧州の戦争との意識が強いが、日本もシベリア出兵で参戦し、中国やインドシナの民間人も、労役者として参加した。実は開戦直後に「世界大戦」と命名したのは、米国も参戦すると考えた日本人であった。

     大戦の結果、資本主義対社会主義という、後の冷戦につながる国際体制が出現した。さらに民族自決思想の影響を受け、朝鮮で三・一運動(1919年)、中国では五・四運動(同)が起きた。これらは現在の日中韓3国の関係に大きく影響している。

     国力を挙げた初の総力戦という見方もできる。支えとなったのは科学力、工業力だった。経済封鎖されたドイツでは、弾薬に必要な硝薬の原料を得るための空中窒素固定技術や、海上封鎖を破るための潜水艦「Uボート」など、画期的な発明があった。

     日本でも科学研究や教育体制の整備が進んだ。1917年には理化学研究所が創設され、京都大や東北大など、大学でも化学や金属関係の付置研究所が次々と設立された。大学令によって専門学校が大学へと昇格し、科学研究への助成が制度化されるなど、今の大学制度の基礎が築かれたのもこの頃だ。

     民生品の軍事利用などを指す「デュアルユース」と呼ばれる現代的な問題も、第一次大戦に端を発する総力戦の性質に源がある。

     英国が軍艦の燃料を石炭から石油に転換するなど、エネルギー革命も始まった。

     物資を大量に消耗したため、大量生産・大量消費のシステムが生まれ、人々の生活スタイルも大きく変化した。都市では、社会を動かす新たな主体として「大衆」が登場。戦後は余剰物資を消費する必要から、宣伝で需要を作り出す商業化した広告活動が台頭した。

     民主主義先進国による大量殺りくという、文明の二面性が表れた第一次大戦の人類史的意義を日本の視点で捉えるのが我々のテーマだ。それはまた人文科学の可能性を問い返すための共同作業に他ならない。

     □やまむろ・しんいち□ 1975年、東京大法学部卒業。衆院法制局参事を経て、78年に東大社会科学研究所助手。その後東北大助教授などを歴任し、98年、京都大人文科学研究所教授。2013年から現職。

    2015年01月19日 Copyright © The Yomiuri Shimbun
    大阪本社社会部から
    リンク