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    吉野山の大花見 平和な世の娯楽

     桜色に染まった山々が、日差しを浴びて、華やかさを増していた。心躍る風景だ。

     約3万本の桜が群生する奈良県吉野町の吉野山。春は日を追うごとに、麓に近い「下千本」から中腹の「中千本」、山頂付近の「上千本」「奥千本」へ駆け上がるように咲き、毎年30万超の人々が訪れる。

    • 一目千本と呼ばれる吉水神社からの桜の眺め。秀吉も「絶景」と称賛した(15日午後、奈良県吉野町で)=野本裕人
      一目千本と呼ばれる吉水神社からの桜の眺め。秀吉も「絶景」と称賛した(15日午後、奈良県吉野町で)=野本裕人

     「今年も上々の人出。日本人はやっぱり桜が好きですなあ」。上千本にある寺院・竹林院の住職、福井良盟(りょうめい)さん(68)にとっても、心の浮き立つ季節だ。

     福井さんによると、吉野の桜の歴史は、約1300年前、修験道(しゅげんどう)の開祖・役行者(えんのぎょうじゃ)が、目の前に現れた蔵王権現(ざおうごんげん)の姿を桜の木に彫った伝承に始まる。以来、人々は信仰の証しとして桜を献木した。今では自生の山桜を含め約200種が咲き競う。

     いわば、信仰の対象だった吉野の桜。その絶景を()でるため、盛大な花見を初めて催したのは豊臣秀吉だという。「吉野の桜の美しさを世に広めた人は多くいるが、太閤(たいこう)さんは、花見の楽しさを今に伝えてくれた恩人なんです」と福井さんは語る。

     ◆一目千本「絶景じゃ」 

     修験道場の吉野山はもともと「隠れ里」のような所でもあった。源義経が追っ手から逃れ、後醍醐天皇が落ちのびて南朝を開いた土地。咲き乱れる桜は、悲哀の歴史を演出してきた。

     そんなイメージを変えたのが秀吉の花見の(うたげ)だった。

     文献によると、天下を統一した秀吉は1594年春、大坂から徳川家康や伊達政宗、前田利家ら重臣のほか、公家や茶人らを連れて吉野山を訪れている。5日間にわたって、中千本の吉水(よしみず)神社を拠点に歌会や茶会を開き、能楽師には花見のために作らせた演目を披露させた。

    • 秀吉の花見を描いた「豊公吉野花見図屏風」(部分、重要文化財、細見美術館蔵)。中央には輿に乗った秀吉の姿も見える
      秀吉の花見を描いた「豊公吉野花見図屏風」(部分、重要文化財、細見美術館蔵)。中央には輿に乗った秀吉の姿も見える

     桃山時代の「豊公吉野花見図屏風(びょうぶ)」にも、満開の桜のもと、花見に興じる大勢の人々に交じって、秀吉が輿(こし)に乗り、金峯山寺(きんぷせんじ)蔵王堂(ざおうどう)に向かうにぎやかな様子が描かれている。

     伝承では「一目で千本見える。絶景じゃ、絶景じゃ」と、たいそうご満悦だったそうだ。

     戦国武将に詳しい静岡大名誉教授の小和田哲男さん(70)は、その思いを読み解く。

     「秀吉はイベントプロデューサーとしても力を発揮した人物。自ら豪勢な花見を企画、演出し、天下統一の達成感を満喫したかったのでしょう」

     宴席でも秀吉はこう詠んでいる。〈とし月を 心にかけし 吉野山 花の盛りを 今日見つるかな〉。戦乱の世を経て、念願の吉野の花見をようやくかなえた喜びが伝わってくる。

     この花見で驚かされるのは約5000人にのぼる参加人数だ。秀吉が最晩年に催した「醍醐の花見」の約1300人を大幅に上回る数で、史上最大の花見といえるかもしれない。

     さぞかし民衆も気になったことだろう。宴をのぞき見した者から口コミで広がったのか、桜の宴が日本人の間で一般化したのはこの頃からという。

     「当時としては、かなり型破りなイベント。その後、庶民に新しい娯楽をもたらした意味で画期的だったでしょう」と、小和田さんは強調する。

     ◆盛大さに祈り込め 

     竹林院には、秀吉が花見の際に改修させた庭園がある。住職の福井さんは、その池を眺めながら「盛大な花見をして、いつまでも平和な世が続くよう祈りを込めたのではないか」と、秀吉の思いを想像する。

     現在は寺を守るかたわら、桜の保護に取り組む「吉野山保勝会」の理事長も務める。

     近年、頭を悩ませているのは、桜の樹勢の衰えだ。ナラタケ類などに感染して立ち枯れする若い木もある。地球環境の変化なのか、山を手入れする人が高齢化して減ったためか。

     3年前から住民や企業と共同で始めたのは、自生種のシロヤマザクラの種から苗木を育てる活動だ。いま苗木は1メートルを超えた程度。あと1、2年で山に植えたいという。

     「吉野の桜は太閤さんをはじめ多くの人々を楽しませてきた財産。後世の人たちのためにも、私たちがしっかりと守り続けたい」。吉野山の美しさを保つことは、世の平穏にもつながる。福井さんはそう信じている。(湯川大輔)

     ◆屏風にも満開絵 

     大阪城天守閣にも、花見や桜にまつわる所蔵品がある。「吉野花見図屏風」(江戸時代前期)は、吉野山の桜の満開を鮮やかに表現した作品。花見に興じて踊り、酒に酔う人々や宴会を催す女性らが登場する。当時の楽しい花見の様子がうかがえる。

     「豊臣秀頼自筆和歌色紙貼交(はりまぜ)屏風」(江戸時代初期)も、吉野山とみられる場所で、山桜が咲き誇る風景が描かれている。絵の上には、秀吉の子・秀頼が流麗な書体で記した和歌の色紙43枚が貼り付けられている。いずれも随時、公開している。

     大阪市と読売新聞大阪本社は、大阪城の地下に眠る秀吉時代の石垣を発掘、公開する事業の資金を募るため「太閤なにわの夢募金」に共同で取り組んでいます。1万円以上の寄付をした方に造幣局製造の記念メダル「太閤通宝」を贈呈するなどの特典もあります。

     寄付は、ゆうちょ銀行または郵便局での振り込みか、公式ホームページ(http://www.toyotomi-ishigaki.com/)からのクレジットカードの申し込みになります。

     振り込みは、市役所の市民情報プラザ、各区役所、サービスカウンター(梅田、難波、天王寺)などにある寄付パンフレットの専用の用紙が必要。寄付額に応じ、所得税、住民税が控除される優遇措置もあります。

     問い合わせは大阪市・大阪城魅力担当(06・6469・5164)、読売新聞大阪本社事業本部(06・6366・1867)。

    2014年04月16日 Copyright © The Yomiuri Shimbun
    大阪本社社会部から
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