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    転んだ先に「天職」が

    型破り建築家と出会い

    • 20平方メートルほどの工房で家具の塗装作業をする安川。「手探りでも案外やっていけるものですよ」と笑う(大阪市住之江区で)=野本裕人撮影
      20平方メートルほどの工房で家具の塗装作業をする安川。「手探りでも案外やっていけるものですよ」と笑う(大阪市住之江区で)=野本裕人撮影

     いきなり、つまずいた。

     2008年。大学4年の秋。安川雄基(27)は、入社予定だった大阪市内のデザイン会社で告げられた。

     「内定を取り消します。リーマン・ショックで経営が悪化しまして……」

     横で同期になるはずだった女子学生が泣き出した。身をもって、知った。

     「大学を出てサラリーマンになる。そんな普通の生き方ができないのか……」

     振り返れば、胸を張れる学生ではなかった。「内装デザインってかっこいい」と専門学科に進んだが、頭で考えてばかりの授業が物足りず、身が入らなかった。父親はIT関連の会社員。3年の冬に始めた就活では「これが普通の生き方」と営業マンを目指し、リクルートスーツ姿で、オフィスビル街を歩いた。

     その頃、安川は、ビル街とほど遠い山あいの町にも足を向けていた。三重県伊賀市。老齢の社長が営む製材所とまちづくりグループが協力し、JR関西線の駅前で、ベンチ付きの休憩所作りを進めていた。メンバーの一人だった大学の先輩に「人手が足りない」と頼まれていた。

     慣れない工具で木材と格闘。完成したベンチは継ぎ目がズレていたが、それでも喜んでくれる住民がいた。いつしか毎週約2時間、電車に揺られて通っていた。

     製材所内の宿泊小屋づくりで、指導役の建築家、家成俊勝(39)と出会った。家成は夜、学生と一緒に酒を飲んでは、床で雑魚寝した。かと思うと次の日は猛然と働いた。「壁に子供が出入りする穴があれば面白い」。思いつきの学生のアイデアも、よいと思えばすぐ形にした。

     内定取り消しのとき、頭に浮かんだのは型破りな家成の顔。「専門学校で一から建築設計を勉強します」。報告すると、「それならうちで勉強しなよ」。

     家成のもとで2年修業。ものづくりは何でもやる「何でも屋」を名乗り、独立した。国家資格の建築士のように、大きな建物を手がけるわけではない。展覧会の会場設営や居酒屋の改装を地道にこなした。あるとき、新婚の友達から依頼された。「アパートに合う食器棚を作ってくれ。おまえの作った家具を置きたいんや」。自分を信じてもらえる喜び。金額や仕事の大きさで表せない、やりがいがあると知った。

     「身近な人に喜んでもらえるものを自分の手で作りたい」

     今年3月に大阪市住之江区の工業団地に小さな事務所を構えた。まだ家族を持つには心もとないが、家や事務所の賃料10万円ほどを支払って暮らせる稼ぎは出せる。

     あのショックから6年。仕事でこだわっていることがある。少しでいい。依頼主に作業に加わってもらうことだ。「思うように仕上がらなくても、自分が手を加えると、愛着が深まり、大切さが増す。家や家具をもっと楽しんでもらえる気がするんです」

     自分の人生も、そうだったのではないか。無難に生きようとして、傷ついた。それなら小さくても冒険し、自分で手に入れた人生を送った方が面白いんじゃないか。「あのとき就職できなくてよかった」。そう思える人生は悪くない。

    (敬称略)

    (増田弘輔)

    2014年10月19日 Copyright © The Yomiuri Shimbun
    大阪本社社会部から
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