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    命奪う一瞬の不注意

    ◇家族失った憤り、無力感

     「自転車に家族を殺されるということ」

     東京都稲城市の会社員・あずま光宏さん(44)は、そんなタイトルのブログをつづる。社会に問いたいことがあるからだ。

     2010年1月の昼下がり。東京都大田区に住んでいた母、令子さん(当時75歳)は歩いて買い物に出かけた。横断歩道の信号が青になり、渡り始めた、その時だった。

     右から、信号を無視してスポーツタイプの自転車が飛び込んできた。はねられた令子さんは転倒。道路に激しく頭を打ち付け、病院に運ばれた。

     「意識がない」。連絡を受けた東さんは、自転車事故に遭ったことと、頭を打ったこととの関係が理解できなかった。だが、病室で見た母はベッドに横たわり、顔は黒ずみ、生気もなかった。一度も目を開けず、5日後、息を引き取った。

     「加害者」は40歳代の男性だった。趣味のサイクリング中で、乗っていたのは座席よりハンドルの位置が低いロードバイク。手で握る部分が下向きに曲がったドロップハンドルと呼ばれる形状で、やや前傾姿勢で運転するタイプだった。

     重過失致死罪で起訴された男性側は公判で、脇見運転を指摘され、こう反論した。「自転車の構造上、下向きになり、ヘルメットもかぶっていたので、信号が見えにくかった」

     東さんは憤りを抑えられなかった。どんな自転車であれ、よく前を見て乗るのが当然ではないか――。

     被害者参加制度を使って法廷に立ち、「永遠に親孝行ができなくなってしまった。(事故を)一瞬一秒でも忘れることは許さない」と実刑を求めた。だが、判決は禁錮2年、執行猶予3年で確定した。

     不注意で車やバイクの事故を起こせば原則、自動車運転死傷行為処罰法が適用され、最高刑は懲役7年。しかし、自転車は道交法上は「車両」なのに、同処罰法の対象には含まれない。悪質な運転でも、適用されるのは重過失致死傷罪で最高刑は懲役5年だ。

     「母の命は軽いのか」。東さんは、今も無力感に襲われる。事故後、父はふさぎ込み、会話をほとんどしなくなった。「自殺しないだろうか……」。東さんは気がかりでならない。

     「事故を軽く見ないでほしい」。東さんは裁判や賠償手続きなどの体験、憤りをブログにぶつけ続ける。

     86人。警察の統計上、昨年までの10年間に、自転車にはねられるなどして死亡した人の数だ。ただ、交通事故死者として記録されるのは、事故後24時間以内の死亡のみ。実際の死者はもっと多く、重傷者も7974人に上る。

     この数とほぼ同じだけ、加害者がいる。大半の原因は一瞬の不注意。代償はその後の人生に重くのしかかる。

     滋賀県内で11年、信号無視で主婦を死亡させた20歳代の男性は、当時通っていた大学を事故後、自主退学した。関係者によると、「毎日のように事故の瞬間を思い出す」と話し、うつ状態が続いたという。

     関西地方に住む50歳代の男性会社員は、「私が一生苦しむことで罪を償うしかない」と打ち明ける。

     5年前の朝。油断があったのかもしれない。健康のために始めた自転車通勤に慣れてきた頃だった。

     下り坂。時速30キロは出ていた。激しい衝撃を感じた時には、路上に倒れていた。ぶつかった歩行者の高齢男性は頭を打ち、意識不明の重体となった。幸い一命は取り留めたものの、脳の機能などに後遺症が残った。

     謝罪のために訪れた病室では、気が動転し、何を話したのか記憶がない。

     会社員も事故の際、頭蓋骨陥没のけがを負った。「なぜ私が生きているのか。死ぬべきだったのでは……」。今も自問する。

     あの朝から一度も、自転車には乗っていない。

     ◇スポーツタイプの自転車

     サイクリングブームなどを背景に人気が高まっており、自転車産業振興協会(東京)の調査では、1店あたりの年間販売台数は1999年の2.7台から13年は22.1台に増加。タイヤが細く、20段以上の変速機を備えたロードバイクもあり、時速70キロ程度出る車種もある。空気抵抗を少なくするため、前傾姿勢になるよう設計され、自転車文化センター(同)は「前方の視野が狭くならないよう注意が必要」と呼びかける。

    2015年03月05日 Copyright © The Yomiuri Shimbun
    大阪本社社会部から
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