<速報> フリーアナウンサーの小林麻央さん死去…34歳
     
    
    文字サイズ

    <3>東京大学教授(障害学) 福島 智さん(53) 判断するのは常に自分

    • 福島智さん(東京都目黒区で)=横山就平撮影
      福島智さん(東京都目黒区で)=横山就平撮影
    • 福島さんが点字タイプライターで打った言葉(上)を、通訳者が文字に書き起こした。「智」は自筆
      福島さんが点字タイプライターで打った言葉(上)を、通訳者が文字に書き起こした。「智」は自筆

     それは18歳の時の年末から、翌年初めにかけてのことでした。

     この苦悩には意味がある、あるんだろうと仮定して生きていくしか、俺には生きる道はない――。

     そんなことを書いて、1981年2月、筑波大付属盲学校(現・筑波大付属視覚特別支援学校)の同級生に送った手紙があります。その数週間後、私は視覚と聴覚が完全になくなる「全盲ろう者」になりました。

     最初に病で右目を失明したのは3歳の時。9歳で左目も。もちろんショックでしたが、その時は音の世界に順応していきました。落語を聞いて笑い転げたり、トランペットやピアノを演奏して楽しんだり。

     けれどその音の世界も消えていった。14歳で右耳が聞こえなくなり、残った左耳の異常に気付いたのが18歳を迎える80年の12月頃。

     聴力が落ち、盲ろうになるまでの約3か月、読書や思索に没頭しました。カフカ、トルストイ、大岡昇平。手にした点字書は約40冊。その中に芥川龍之介の「歯車」がありました。人生に絶望した主人公が死に向かうことを暗示する話です。でも私はこうはならないぞと思いました。もし自分に課せられた使命があるなら、果たさなければと。

     ただ開き直りの気持ちもありました。どん底に沈み、耳もこれ以上悪くなりようがないわけですから。

     光と音を失った時、地球上から引きはがされ、暗く静かな宇宙空間にひとり投げ込まれたように感じました。私を他者とつながる世界に戻してくれたのが、お袋の思いつきで生まれた「指点字」でした。

     両手の人さし指、中指、薬指の6本の指を点字タイプライターの六つのキーに見立てて、情報伝達する方法です。互いの指を使って会話ができる。当時この方法を公表していた人はおらず、世界で初めて私たちが用い始めたものでした。

     81年の春、学校に戻ると、友人たちも指点字を覚えてくれた。私に残されたのは「言葉」だけでしたから、救われたと思いました。

     ただその後、再び深い孤独を味わうことになります。耳が聞こえていた時のコミュニケーションと根本的に異なっていたのです。

     指点字で手に触れられた時だけ1人の人と話せる。いなくなると、私はまた孤独に戻る。さらに私以外に2人、3人いると、会話自体がわからなくなった。

     けれどある日、3人で喫茶店で話していた時、先輩が「指点字通訳」という手段を考えました。

     誰がこう話した。それに誰がこんなふうに答えた。そんなやりとりを逐一通訳してくれ、発言者と内容がわかると、私のコミュニケーションは一気に変化し、孤独ではなく、自分は世界の中にいると思えたのです。

     人にとって相手がわかるコミュニケーションは生きるうえで不可欠なものなのだと強く実感もしました。

     喪失から再生した時、さて、それからどうするか。18歳の夏、私はひとつの決断をします。大学進学です。

     当時の日本でそんな盲ろう者はいません。父親は「さらに苦労することはない」と猛反対しましたが、「僕にも生きがいが欲しいんや」と反論すると、受験を認めてくれました。

     周囲の支えがあって生きてきた私ですが、大人を自覚したのはいつだったか振り返ると、この時だと思います。あそこで諦めていたら現在の私はなかった。判断する時の主語は常に「自分」であることが大事だと今、学生たちにも伝えています。

     もうひとつこれまでを通して思うことがあります。障害があるからこそみえる、できることがあります。18歳の頃は「仮定」でしかなかったけれど、やはり苦悩することには意味があった。そう感じています。

     (聞き手・淵上俊介)

    (記者の質問を通訳者が指点字で伝え、福島さんに口頭で答えてもらいました)

     

     ◇ふくしま・さとし 1962年、神戸市生まれ。83年、東京都立大(現・首都大学東京)に入学、盲ろう者で全国初の大学進学を果たす。東京大先端科学技術研究センター助教授などを経て、2008年から現職。近著は「ぼくの命は言葉とともにある」(致知出版社)。

     

    ◇私のあの頃 1980年

     全国で校内暴力が頻発し、少年非行が社会問題化した時期だった。この年6月には憲政史上初めて衆参同日選が実施され、自民党が圧勝。モスクワ五輪(夏季)が開かれたが、ソ連のアフガニスタン侵攻などを理由に米国や日本は出場をボイコットした。

     国際連合は翌1981年を「国際障害者年」と制定し、「完全参加と平等」をテーマに掲げた。

    2016年01月05日 Copyright © The Yomiuri Shimbun
    大阪本社社会部から
    リンク