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    「失う病」職も家族も

    • 「今は一歩一歩、階段を上るしかありません」という保さん。雑念を払うように食器洗いの仕事にいそしむ(24日、大阪市東住吉区で)=長沖真未撮影
      「今は一歩一歩、階段を上るしかありません」という保さん。雑念を払うように食器洗いの仕事にいそしむ(24日、大阪市東住吉区で)=長沖真未撮影

     本人が病気と認めないから「否認の病」。死ぬまで飲むから「死に至る病」。別名の多いアルコール依存症には、さらに一つの名がある。「失う病」だ。 

     24日、商社マンだったその人は老人ホームの調理場に積み上がった食器を一心不乱に洗い、運んでいた。

     堺市泉北断酒会で知り合った大阪府和泉市の飯田保さん(44)(仮名)。

     「前の職場は、デスクワークだったんでギャップは感じますけど、切り替えていくしかない」。繊維関係の商社に勤め、妻と娘を愛するごく普通のサラリーマンだった。

     生活を狂わせたきっかけは、仕事の緊張を紛らわせるために飲んだ朝の1本の缶ビール。週1が毎日になり、強い酒に変わった。

     入退院を繰り返すようになり、妻や娘に「死んでしまえ」「寄生虫が」と暴言を吐くようになった。

     ついには妻から「一緒に暮らしている意味が分かりません」と離婚届を突き付けられた。治療を理由に休職が続き、離婚から1か月後、会社に「あなたの座る席はない」と退職を促された。

     家族も仕事も失った保さんが、入院先の病院から紹介されたのが「リカバリハウスいちご」(大阪市東住吉区)。専門病院と連携し、依存症者の就労や生活を支援するリハビリ施設だ。

     保さんは、老人ホームでの食器洗いや病院の介護助手などを紹介され、現在、かけ持ちしている。どの仕事も職業訓練的な位置づけで、収入は低い。

     商社マン時代、500万円あった年収は、10分の1に。親の支援を受けながらの一人暮らしが続く。断酒は2年目に入った。

     酒が抜けるほどに募るのは「家族に取り返しのつかないことをしてしまった」という悔いだ。少ない稼ぎの中から図書券やクリスマスプレゼントを娘に贈る。そんな変化を察してか、今月、3年ぶりに別れた妻子と電話で少し話せた。

     「ありがとう」。家族からの短い言葉を心の支えに、保さんは前を向く。

     「失ったものは取り戻せない。でも新しい人生を歩むことはできる」

     ◆

     リカバリハウスいちごを1999年に設立した佐古恵利子所長(61)はそれまで、依存症の専門クリニックで相談員として勤務していた。そこで「出口の問題」に気づいたという。

     「患者の多くは飲酒が原因で職を失い、退院しても働ける場がなく、結局、病院に逆戻りしてしまう」

     医療でも自助グループでも手の届かない領域での支え手となるため、いちごの運営に乗り出した。だが現実には予想以上の「壁」にぶつかった。

     飲酒に寛容であったり、依存症者に非寛容であったりする、私たち社会の習慣や偏見だった。

     

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    2017年01月30日 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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