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    父の死 後悔と未練 「もっと理解すべきだった」

    • 「依存症の本人にも家族にも、必ず回復への道はあります」(東京都目黒区で)=秋元和夫撮影
      「依存症の本人にも家族にも、必ず回復への道はあります」(東京都目黒区で)=秋元和夫撮影

      ◇女優 東ちづるさん

     アルコール依存症の実態を取材してきて、痛感している。この病の克服には、本人や家族はもちろん、私たち社会の理解が不可欠だ。その糸口を見つけるため、話を聞く。1人目は女優の東ちづるさん(56)。20年前、父親を依存症で失った。62歳だった。テレビでおなじみの笑顔の陰には、酒の病に巻き込まれた家族の苦悩が隠されていた。

     「造船の会社を経営していた父はマイホームパパでした。海で遊んだり、鉄棒や卓球を教えてくれたり。私の大好きなアニメ『リボンの騎士』も一緒に見てくれた。夕食ではいつもビール。陽気になるでも泣き上戸になるでもなく、普段と変わらず飲んでいました」

     東さんは高校卒業後、地元の広島を離れた。異変が表面化したのはその後だ。

     「父が47歳の時、酒の飲み過ぎで突然、吐血しました。後で振り返れば毎日飲んでいたと思うのですが、その時までおかしいと思ったことはなかった。入院しても医師には酒を控えるよう注意されただけ。退院後、数日で飲み出しました。家族も『ビール1杯くらいなら』と思っていました」

     肝臓は弱っても脳は酒を欲する。依存症の兆候だ。東さんが芸能界に入り、多忙を極める頃、父は入退院を繰り返すようになった。

     「母が見舞いに行くと、父が『布団の上に虫がいっぱいいる』。幻覚です。気付けば母も摂食障害になっていた。これはいけないと、両親を東京に呼びました」

     でも事態は好転しない。

     「毎日励ましたり怒ったり、なだめたり。父も、その時々は『もうやめる』と真剣なのに、飲んでしまう。違う人に変わっていく感じ。母を責める自分、父はいつまでこの状態で生きるのかと考える自分がいて、とてもしんどかった」

     専門病院や断酒会は?

     「当時、専門の医師は少なく、今のようにネットで情報も入りませんでした。断酒会は父が拒み、行けば余計ストレスかなと。結局、意志でやめられるという精神論でしか対応できなかった。本当に無知でした」

     東さんは父親の死後、2002年に家族の体験を告白する本を出版。大きな反響を呼んだ。以後、依存症の啓発に取り組み始めた。

     「父が依存症で亡くなったことを無駄にしてはいけないと思って。父がなぜそこまで飲んだのかはいまだに分からない。家庭の中に居場所があったのかなあとも考えます。父の生きづらさをもっと理解しようとするべきだった。ごめんなさいって……後悔と未練が残りました」

     体面を気にし、問題を抱え込む家族は大勢いる。父を依存症で失った私自身もそうだった。

     「ちょっと乱暴だけど、これががんだったら、病院に行くでしょ? プロに頼りましょうよ。依存症は恥ずかしい病気ではありません。恥ずかしいと思うのは世間というフィルターを通すから。世間なんかオバケです。いると思えばいるし、いないと思えばいないんです」

     依存症と向き合い、その本質を見つめてきたからだろう。東さんは、最後まで父親への非難めいた言葉を口にしなかった。父の死を受け止めきれていない私は宿題をもらった気がした。

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    ◇東ちづるさん

     広島県出身。ドラマや執筆などで幅広く活躍する。多様な人々が生きやすい社会を目指す一般社団法人「Get in touch」の代表も務める。

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    2017年03月13日 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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