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<5>ものづくり魂国境越え

町工場職人の意地

タイ人に金型の扱い方を指導する佐藤さん(中央)=タイ・チョンブリ県の部品メーカー「カワベ・プレシジョン」の工場で

 タイ・バンコクの東約60キロに位置するチョンブリ県の巨大工業団地。関西空港島の2・5倍ほどの広さの敷地に、トヨタなど日系の大手自動車メーカーや、下請け企業など400社以上の工場がひしめく。「東洋のデトロイト」とも呼ばれるタイの中でも最大級の工業地帯だ。

 佐藤節(たかし)(63)は今、工業団地の一角にある日系部品メーカーで働く。ここで生産されるのは、100分の1ミリ単位の誤差も許されない車の精密部品ばかり。佐藤は、その基となる金型の微妙な凹凸をヤスリで削って整えていく。彼の右手でしか表現できない職人技の領域だ。

 「今まで飛行機にも乗ったことがなかった」という佐藤が単身、海を渡った日は7年前にさかのぼる。

 山形県の農家に生まれ、中学を出て金型工場へ。職人の道一筋を歩み、50歳を前に地元で小さな町工場を営むようになった。最初は妻だけだった従業員も10人になり、軌道に乗り始めた頃。元請けのプレス加工会社の社長に突然、宣告された。

 「もう仕事は出せない」

 当時、この会社の得意先だった大手音響機器メーカーがタイに生産拠点を移すのに伴い、この社長も現地での生産に切り替えることを決めた。

 佐藤の仕事の大半は、この会社の下請けだった。これからどうやって生活すればいいのか……。ぼう然とする佐藤に、社長は「現地でも腕のいい人間が必要だ。うちの社員になってタイに行かないか」と誘った。

 眠れぬ夜が続いた。工場を閉めたら従業員たちはどうなるのか。だが、設備投資などで2000万円近い借金があった。妻と一人息子を養うため、選択肢は一つしか残っていなかった。

 迷い迷って従業員に切り出した。「許してくれ。今日で工場をたたみたい」。誰もが黙ったままうつむいていた。肩を落として去っていく彼らに、ただ頭を下げ続けるしかなかった。

 出国直前。1人でプレス機で作業中、「あっ」と思った時は遅かった。左手の指2本を切断する大けがだった。だが、こう心を奮い立たせた。〈大丈夫。まだ利き手は残っている〉。妻には「心配するな」と言い残し、成田空港に向かった。12月の底冷えのする日だった。傷口がずきずきとうずいた。

 不退転の思いで来たタイ。そこでも仕事が保障されているわけではなかった。請われて来たのに、わずか1年で解雇された。出入り業者からリベートをもらうのを「やめたほうがいい」と指摘した直後だった。

 だが帰る場所はもうない。現地で知り合った日本人に頼み、別の日系メーカーの工場に働き口を見つけた。風呂もない安アパートに住み、家族に仕送りを続けたが、リーマンショックで、またも放り出された。

 現地の人材紹介会社を回り、仕事を探す日々。解雇した従業員や家族の顔が浮かんだ。「ここで終わるわけにはいかない」。この腕を生かせる場所は必ずある。待ち続けて1年。佐藤の携帯電話が鳴った。「あなたに来てほしいという会社があります」

 今後5年間で、300万人規模の雇用機会が失われる可能性がある――。日本経団連は昨年10月、大手メーカーなどの海外移転が続いた場合の先行きを、こう予測した。現に、空洞化の影響で、次々と廃業に追い込まれているのが、下請けの町工場だ。

 かたや金融危機からいち早く回復を果たしたアジア諸国。昨年以降、日系企業の進出ラッシュがさらに加速し、「日本の金型職人らの求人が急増している」(タイの人材紹介会社)という。

 佐藤は昨年夏、今の部品メーカーに再び職を得た。プレス機の操作方法から金型の削り方まで、タイ人労働者を手取り足取り指導する。現地の好景気に支えられ、工場は右肩上がりで増産が続く。失業生活から一転、目の回るような毎日だ。

 最近、山形の同業者からよく知らせが届く。「もうやっていけない」「工場を閉める」。日本では仲間たちの居場所が失われつつある。その現実に胸を痛める度、「ここで働く場所を与えられた自分は幸せ」だと思う。

 子どもも独立し、ようやく借金の返済も終わった。そろそろ苦労をかけた妻を呼び寄せようと思う。

 この先、ものづくりの拠点が世界のどこに移ろうと、長年日本で技を磨いてきた者にしかできない仕事がある。そう佐藤は信じる。

 「70歳、80歳になっても、どんな国でも行く。私の腕を求めてくれる場所がある限り」

(敬称略、おわり)

 この連載は、社会部・中沢直紀、神原康行、渡辺彩香、羽尻拓史が担当しました。

2011年1月7日  読売新聞)
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