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歴史が培ったマラソンの忍耐力あきらめぬ伝統後進にソウル駅近くの小高い丘に、市内を見下ろすように大きな銅像が立っている。2002年に亡くなった、1936年ベルリン五輪男子マラソン優勝の孫基禎(ソンギジョン)。哀愁を含んだ視線の先には、ベルリンから持ち帰った記念の月桂樹が、70年余を経て大木となってそびえている。 金2、銀1、銅1。韓国は五輪男子マラソンで4個メダルを取ってきた。その出発点が日本の植民地時代に孫が獲得した金メダル。本人は「圧政に呻吟(しんぎん)する同胞たちのために走った」と述懐し、東亜日報が胸の日の丸を消した写真を掲載し、発行停止処分を受ける「日章旗抹消事件」も起きた。 大韓陸連の黄奎勲(ファンギュフン)専務理事は、「植民地時代の金メダルは、国民の自尊心を高める大きな意義があった。だから、マラソンはサッカーと並ぶ国技的なスポーツになった」と説明する。 そして、孫の教え子の徐潤福(ソユンボク)が47年のボストンマラソンで優勝。50年のボストンは韓国勢が表彰台を独占してマラソン王国を築く勢いを見せたが、2か月後に起こった朝鮮戦争で「国土が荒れ、選手育成が進まない低迷期」(黄専務理事)に陥った。 その闇を切り開いたのが、92年バルセロナ五輪の黄永祚(ファンヨンジョ)。56年ぶりの金メダルに、韓国日報は「マラソンへの国民的関心には格別なものがある。祖国を奪われた孫選手が日章旗をつけて五輪で走らざるを得なかった恨(ハン)(恨み)が渦巻いているためだ。この恨を黄選手が痛快に晴らしてくれた」と絶賛した。 なぜ、韓国から五輪で勝てるランナーが育つのか。当時、黄が所属したコーロンでコーチだった鄭夏ジュン(チョンハジュン)コーロン監督は「中国や日本から侵略されて多くの苦難を経験し、忍耐強い国民性を持ったことが大きい」と指摘する。特別な身体的優位性はないが、歴史的に他国の侵略を受け、国土が焦土と化し、北緯38度線で民族を分断した朝鮮戦争の逆境にも耐えた国民性が、42・195キロの我慢比べに打ち勝つ力を絞り出すという。 もう一つ、黄が挙げる重要な要素が「強烈な自我」だ。黄の快挙は鄭奉守(チョンボンス)監督のスパルタ指導に耐えた結果とされる。しかし、黄は「本当は監督を自分のスタイルに引っ張った。監督は僕の真の練習は知らない」と証言する。入社時から、練習について監督と意見交換するのは当たり前。納得できないと仮病で練習を休み、代わりに早朝3時に起きて、仲間が寝ている間に30〜40キロを走ったという。 「孫基禎さんとの共通点は強烈な自我。それは韓国的だけど、中でも特別な強さだったから金を取れた」 しかし、今、韓国マラソン界は後継者不足に悩んでいる。世界最高レベルの教育水準を誇る学歴社会のうえ、少子化が進み、スポーツへ進む子供は減っている。「国技」を支えるのはアトランタ五輪銀の李鳳柱(イボンジュ)。シドニー、アテネの両五輪では惨敗しながら、3月のソウル国際を2時間8分4秒で制して復活した李は、走り続ける理由をこう語る。「孫基禎さんは困難に挑む大切さを示した。北京五輪で金メダルを取って、簡単にあきらめない韓国の伝統を若い選手に残したい」 逆境で力を発揮してきた韓国マラソンは、孫がベルリンから持ち帰った月桂樹のように、王国の枝を伸ばし続けられるだろうか。 (アジア編おわり。この連載は大野展誠、新宮広万、近藤雄二が担当しました。次回はアフリカ編の予定です)
(2007年4月19日 読売新聞)
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