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戦国武将の実力


 酒井忠次は、徳川家康が三河(愛知県)で自立し、豊臣秀吉に臣従していく時期における老臣筆頭であった。この忠次と、本多忠勝・榊原康政・井伊直政の4人を「徳川四天王」と称しているが、年齢的にも忠次一人がはるかに上で、活躍時期も早い。 (5月24日)[全文へ]


 備前(岡山県)の守護は赤松氏で、守護代が浦上氏だった。宇喜多氏はその浦上氏に仕えていたが、直家のときに戦国大名にのし上がっている。よく知られているように、守護代浦上村宗が大永元年(1521年)、守護大名赤松義村を下剋上(げこくじょう)によって破って、主家乗っ取りに成功し、その村宗の子宗景が家臣の宇喜多直家の下剋上で倒されているのである。 (4月19日)[全文へ]


 将軍足利義輝を殺し、主君だった三好長慶(ながよし)の妻を奪って側室とし、奈良・東大寺の大仏殿に火をかけたと、松永久秀には悪逆の限りを尽くしたとのイメージがある。しかし、そんな久秀を、あの織田信長が高く評価していた。 (4月5日)[全文へ]


 徳川家康というと、どうしても「三河武士団」の語が反射的に出てくる。たしかに、家康が三河(愛知県)を統一し、さらに遠江(静岡県)に版図を広げていく過程においては、三河武士団の活躍は顕著だったし、事実、江戸時代、大名になった家は三河出身が多い。 (3月22日)[全文へ]


 島津氏は鎌倉時代以来の名族で、初代忠久が元暦2年(1185年)に、源頼朝から島津荘の下司職(げししき)(荘園の管理責任者)に任命されている。島津荘というのは、薩摩・大隅(ともに鹿児島県)両国と日向国(宮崎県)にまたがる8000町歩を超す大きな荘園であった。 (2月16日)[全文へ]

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 靴や時計のように、バッグをいくつか持っているという方は多いと思います。私もそうなんですが、いろいろなバッグを持っている中でも、ひとつ、本当に使い勝手が良くて長く使える“本物”があったらいいなと思いませんか。
(2012年5月22日)[全文へ]

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