琉球貿易を独り占め〜島津義久(1533〜1611)
島津氏は鎌倉時代以来の名族で、初代忠久が元暦2年(1185年)に、源頼朝から島津荘の
戦国期、傍系の
ふつう、戦国大名家では、兄弟争いを未然に防ぐ目的もあり、男子が何人かいると家督を継ぐ予定者1人を残し、あとは養子に出したり、寺に入れたりしていた。ところが貴久は、4人の男子、具体的には長男義久、次男義弘、三男歳久、四男家久を手もとで育てた。しかも4人兄弟の結束力は強く、4人の軍団長ができた形となった。
長男義久は幼名を
4兄弟の結束によって、九州全土をほぼその支配下に置くことになったわけであるが、そうした軍事行動を可能にしたのが琉球貿易だった。義久は琉球貿易の権限を一手に握っていたのである。
この頃、琉球との貿易を独占することは、中国・明との貿易による利益を得られることを意味した。
当時、明は海禁政策をとっていて、直接、日明貿易という形を取ることはできなかった。一方、琉球は一つの独立国で、明と朝貢貿易を行い、朝貢したお返しの品が明から琉球に下賜される形の貿易をしていた。その品が、今度は日本と琉球との貿易によって日本に渡ってきていたのだ。
制限された貿易ではあるが、絹・砂糖・染料の
お知らせ:次回は3月22日掲載、徳川家康の予定です。
| プロフィール | |
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小和田哲男 (おわだ・てつお)
静岡大学名誉教授
1944年、静岡県生まれ。専門は日本史、特に戦国史研究。今川氏家臣団の研究などで知られ、主著に「今川義元」「戦国の城」。
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