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麻生氏、自民幹事長を一転受諾

 福田首相は1日、政権発足以来初めての内閣改造・自民党役員人事に踏み切った。最大の目玉である麻生幹事長の実現までには曲折があり、その他の党四役人事も派閥間のポスト争奪戦のあおりで混乱した。

首相と協議の後 「何らかの条件」消えぬ憶測


記者会見する麻生幹事長(1日午後5時46分、自民党本部で)=横山就平撮影

 「『火中のクリを拾うな』との意見もあったが、それは政治家としていかがなものかと思い、(就任要請を)受けた」

 1日夕の就任記者会見で、麻生幹事長は内閣支持率の低迷にあえぐ福田政権で、あえて幹事長を引き受けた心境を披露した。

 しかし、麻生氏の幹事長再任は、すんなり決まったわけではなかった。

 麻生氏の周辺によると、最初は5月ごろに森元首相が声をかけてきたという。

 「7月末ごろに人事の動きがあるかもしれない。その時はお願いしたい」

 森氏はこう持ちかけて感触を探ったが、麻生氏は「総裁と直接会って決断をする話だ」と明確な回答を避け続けた。

 7月末、長野県軽井沢と山形県の温泉で静養していた麻生氏に、次々と電話がかかってきた。30日は森氏からの改めての要請だった。翌31日には麻生氏の政治的な後見役である河野衆院議長からも、幹事長就任を受けるよう説得された。麻生氏は1日の麻生派総会で、「重鎮」2人から要請があったと明かした。

 麻生氏はこれに対し、首相自身の要請であることを確かめたうえで、自民党の四役から選挙対策委員長を外し、幹事長に選挙の実権を戻すことなど、就任の「条件」を突きつけた。

 麻生氏の注文は、青木幹雄・前参院議員会長らの耳にも届いた。

 党則を変更して決めた党組織の体制を一人の意見で変えれば、党内がもたない――。

 心配した青木氏は、森氏に「党内に大きな火種を残す。どうかしている」と条件を付けることを認めないよう助言した。

 麻生氏はこの日の夕方には、親しい議員に「幹事長就任は難しい」と漏らしていた。首相に近い政府関係者も「首相は31日夕になっても党役員人事が決まらず、悩んでいる様子だった」と明かす。

 首相は事態打開のため、31日夜、「すぐに会いたい」と自ら麻生氏に電話した。麻生氏は「今、山形にいて無理なのであす午前中にしましょう」と答えた。

 首相は31日深夜に首相公邸を訪れた伊吹文明・前幹事長に、「次の幹事長は麻生氏を考えている」と告げ、説得に自信をのぞかせた。伊吹氏も「挙党態勢を確立するためには、非常に望ましい」と応じた。

 実際、1日午前に首相と会談を終えた麻生氏は、この議員に電話し、「思うところがあって幹事長を引き受けた」と伝えた。麻生氏が求めていたはずの選挙対策委員長の「格下げ」も、すっかり立ち消えになっていた。

 麻生氏周辺は就任の狙いを、「前回総裁選では党内の有力派閥を敵に回しただけに、今回は要職に就いて存在感を高め、党内基盤を強化することが、次期首相への近道と考えたのだろう」と解説する。麻生派の鈴木恒夫氏の入閣が受け入れられたのも一因と見られる。

 一時は難色を示していた麻生氏が首相との直接協議の後で受け入れを決めたため、周辺では「将来の禅譲など、何らかの条件があったのだと思う」という見方も消えていない。

閣僚人事 「想定外」で遅刻も

 内閣改造では、林芳正・防衛相が、家族で北海道に旅行し、1日夕からの新閣僚の呼び込みや、新閣僚が順番に行う就任直後の記者会見に間に合わないという「ハプニング」があった。

 林氏は同日夜にようやく官邸入り。記者会見で「新入社員が初日から遅刻した感じだ。首相におわびした。青天の霹靂(へきれき)でこういう任をいただいた」と述べ、入閣が「想定外」だったことを明かした。

 福田首相が「秘密主義」で人事を行うことに加え、改造日程を直前まではっきりさせなかったことが影響したようだ。津島派のある幹部は「わが派の入閣候補も海外にいたため、選ばれなかったという。首相はもっと事前に打診すべきだ」と不満を隠さない。

 また、古賀派議員は「首相から人を通じ農相就任の要請があったが断った。派内の先輩議員が選ばれなかったので……」と打ち明けた。

四役、派閥圧力で曲折

津島派 強硬に巻き返し

 1日昼、東京・永田町にある津島派の派閥事務所。〈二階総務会長の留任が有力〉〈保利耕輔・元自治相の政調会長起用を検討〉というニュースに、同派の津島雄二会長、笹川尭副会長らは耳を疑った。

 津島派は、2006年9月に安倍晋三・前首相が総裁に就任して以降、党三役を一人も出していない。今回の人事では三役の一角を占めることを目指して早くから首相周辺に働きかけ、手応えを感じていた。ニュースに驚いたのは、その期待が裏切られたと感じたからだ。

 保利氏は、同派の前身の旧橋本派に所属していたこともある無派閥のベテラン議員だ。幹部からは「首相は、保利さんをうちの派閥と勘違いしているのではないか」という声が上がった。「なめるな、また冷や飯を食わせるのか」「このままなら、福田政権を支えることはできない。閣僚も引き揚げるべきだ」という意見も相次いだ。

 津島氏は、福田首相に直接電話し、派内の厳しい声を伝えた。首相は「重く受け止めます」と答えた。

 首相は当初、選挙や業界団体に強い二階氏を党執行部内にとどめる構想を温めていた。しかし、津島派の強い巻き返しで、最終的には二階氏は閣僚に転じ、笹川総務会長で決着した。

 この間、経済財政相に就任した与謝野馨・前官房長官の名前が政調会長として挙がるなど、人事は二転三転した。

 首相官邸と津島派の人事調整の難航を知った山崎派からも、「うちのムラ(派閥)にも総務会長や政調会長が務まる人がいる。四役確保に向けて運動すべきではないか」という声が上がる場面もあった。

 古賀派幹部は、今回の混乱をこう皮肉った。

 「挙党態勢と言った瞬間に、『うちの派閥は入っていない』と横やりが入る。『人事は私が一人で決めます』と首相が宣言すれば、こんなことにならなかったのに」

2008年8月2日  読売新聞)
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