未来貢献プロジェクト

読売新聞

未来貢献プロジェクト > シンポジウム 震災5年と被災地域の未来を考える

シンポジウム「震災5年と被災地域の未来を考える」

2016年3月11日

 東日本大震災後の復興状況と今後の課題を話し合うシンポジウム「震災5年と被災地域の未来を考える」(読売新聞社主催、国土交通省後援、都市再生機構協賛)が2月19日、東京都千代田区のよみうり大手町ホールで開かれた。石田東生・筑波大教授(社会資本政策)が、道路などインフラ(社会基盤)の復興を被災地の暮らしや地域活性化にどう生かすかについて基調講演。この後、被災した岩手県宮古市と後方支援した同県遠野市の市長ら4人のパネリストが、震災5年の歩みと今後の復興のあるべき姿について討論した。

【基調講演】
石田東生・筑波大教授

【討論】
川瀧弘之・国土交通省東北地方整備局長
山本正徳・岩手県宮古市長
本田敏秋・岩手県遠野市長
渡部英二・都市再生機構復興支援統括役
(コーディネーターは、堀井宏悦・読売新聞東京本社調査研究本部主任研究員)

基調講演

インフラ復興 地域の活力に

石田 東生氏(筑波大教授)

石田東生氏

 東日本大震災の被災地復興には、宮城県山元町や福島県新地町の復興計画策定で携わった。

 政府は2015年度までの集中復興期間に25・5兆円(未消化分を除く)を投じた。東北沿岸を縦走する復興道路(三陸沿岸道路)と、これを内陸部につなぐ支援道路3ルートは全区間の約4割が既に開通し、約3割は20年度までの開通予定日が公表されている。

 道路建設を決めるには、道路がもたらす効果を金額に換算し、建設費用と比較する費用便益分析を用いる。人口が少ない地域は交通量が少なく、道路新設の効果が少ないため建設は難しいとされてきたが、道路には災害時の安全確保という側面もある。「高速道路のあり方検討有識者委員会」メンバーとして、評価方法を改めるよう提案し、こうした道路建設は事業化された。

 東京電力福島第一原発近くを通る常磐自動車道は昨年3月、全線が開通した。河川や海岸の堤防、港湾施設などの復旧も進み、重要なインフラの復興は進展している。その一方で、岩手、宮城、福島県の昨年の人口はいずれも5年前より減少している。訪日外国人旅行者は昨年、1973万人に達したが、東北には震災前のようには戻ってきていない。

 幹線道路沿いに設けられている「道の駅」は、地元の特産品販売や情報発信で、地域に経済効果や、やる気と自信を与える。明るい未来と元気な地域をつくる仕掛けの場ともなろう。さらに、復興ツーリズムを活発にさせることにもなるだろう。

 16年度から復興・創生期間に入る。いま一度、復興のあり方を考えるべき時だ。

討論

道路網復旧 東北を結ぶ

川瀧 弘之氏(国土交通省東北地方整備局長 )

川瀧弘之氏

 地震発生直後は、がれきに埋もれ、壊れた道路を啓開する作業が国土交通省の最初の仕事だった。全国から救急車やパトカー、自衛隊の車が被災地を目指した。沿岸部に向かう道路をくしの歯に見立てて開通させる作業を、地元の建設業の方々が現場力で進めてくれた。道路を開きながら、どこが通れるようになったかという情報を自衛隊などに提供していった。

 その後、道路復旧と共に併せて復興を進めなければならないと道路事業を全面的に進めた。三陸沿岸道路は計画があっても、予算が限られ、交通量も多くを見込めず、それまでは進みが遅かった。しかし、復興のために全線事業化し、5年間で常磐自動車道などを含め200キロが開通した。

 これまでの5年間、全力で復興に取り組んできた。仮設住宅で暮らす方々に住んでいたまちに戻っていただくため、今後5年間で復興の加速化を進めなければならない。

 道路や港をネットワーク化し、東北全体の復興が必要だ。東北は日本海側はアジアを、太平洋側は北米を向き、東西軸でつながると観光など産業が活性化し、経済効果が期待できる。東北は大きく変わる。

高台移転まで対話1年

山本 正徳氏(宮古市長)

山本正徳氏

 宮古市は岩手県沿岸の中央部にある。人口約5万6000人で、東日本大震災前から4000人ほど減った。市内の死者・行方不明者は517人で、最も被害を受けた田老地区では、181人が亡くなった。

 田老地区は明治三陸大津波(1896年)、昭和三陸大津波(1933年)でも被災した。「明治」では被害を受けた場所にそのまま再建し、「昭和」では山の近くに移り、防潮堤を造ったが、それでも防ぎきれず、今度の津波後は住宅を高台に移転するという判断をした。

 自分たちが住み続ける場所をどのような形にするか、市民と行政が話し合って決めた。決定までに1年かけたことで、後の計画変更が少なかったと言える。2015年11月、計画より6か月程度早く、まち開きができた。

 被災後、人口は必ず減る。人が戻るかはまちづくりにかかっている。まちの真ん中に道の駅と野球場を造る。道の駅には、海産物を炭火で焼いて食べさせるコーナーを設け、サケやアワビ、ウニの祭りを開催するなど、にぎわいを取り戻す。「たろう観光ホテル」を震災遺構として残し、ガイドが津波の様子を説明する「学ぶ防災」の事業を通じ、震災の教訓を伝えていきたい。

内陸から被災地と連携

本田 敏秋氏(遠野市長)

本田敏秋氏

 遠野市は人口3万人弱のまちだが、国道が4本入り込み、沿岸に展開する交通の要衝である。柳田国男が「遠野物語」に書いた、沿岸と内陸の交流の拠点だ。

 1896年の明治三陸大津波で三陸沿岸を中心に壊滅的な被害を受けた時、遠野の先人が現在の岩手県釜石市と大槌町に後方支援を行った。

 津波が来ないからこそ、果たすべき役割があると、遠野市は2007年に「後方支援中継基地構想」をまとめ、08年にはこの構想のもと、自衛隊員ら1万8000人と共に訓練を実施した。今回の震災では構想や訓練に基づき、後方支援活動を行い、沿岸被災地に先遣隊が出て、どこが大変かを情報収集するなど、基地としての役割を果たした。

 食料や水がある道の駅が今回の震災では後方支援の働きをし、命をつないだ。その一つ、「遠野風の丘」は被災地へ向かう人たちに食料を提供し、震災後、「あのおにぎり1個がありがたかった」と言われた。

 これから想定される大規模広域的な災害では、市町村同士が連携を取って命をつなぐ仕組みを構築しなければならない。それを全国に発信していきたい。

物、人の中継点となり支えた遠野市
市内に資料館も

 岩手県沿岸から約30キロ内陸にあり、東日本大震災後、沿岸被災地への後方支援活動の拠点となった遠野市は当時の記録を残し、伝えようと、昨年3月に「後方支援資料館」を開設。「メモ1枚捨てない」という本田敏秋市長をはじめ市民の思いを生かし、支援活動の貴重な資料を展示している。

 市は震災直後から、自衛隊や警察などの救援部隊を受け入れた。42市町村から届いた救援物資は米64トン、インスタント食品など16万6000箱、衣類・寝具17万8000枚など。釜石、大船渡、陸前高田の3市と大槌、山田の2町に運ばれた。

 後方支援は他自治体にも広がる。宮崎県都城市は周辺自治体の被災時に避難者を受け入れ、物資を提供する計画を策定中。神奈川県南足柄市は隣接する小田原市など沿岸自治体支援のため、自衛隊を受け入れられるだけの広さがある場所を確保した。

住宅整備 急ピッチ

渡部 英二氏(都市再生機構復興支援統括役)

渡部英二氏

 都市再生機構は東日本大震災の翌月から、東北に職員を派遣し、仮設住宅の用地提供や計画作りの支援を始めた。現在、職員が約3200人いるが、このうち約450人を全国から集め、東北に派遣している。災害公営住宅の建設や津波で被災した市街地の整備などをしている。

 被災地では、自治体職員も被災し、復興のマンパワーが大幅に不足している。市町村が造る災害公営住宅の3割ぐらいを担当し、自治体の要請を受け6000戸弱を建設する。既に約2000戸が完成し、今後さらに急ピッチで整備を進めなければならない。

 要請を受けた時に考えたのは、仮設住宅にお住まいの方を一刻も早く、災害公営住宅や再建した自宅に戻すこと。市街地整備も含め、工夫しながらスピードアップを図り、どうやって本格復旧させられるかに知恵を絞った。

 今後は人々の暮らしや街のにぎわいに目を向け、色々なことをしていかなければならない。岩手県大船渡市では岩手大と連携し、災害公営住宅のコミュニティー形成にも取り組んでいる。今後はこうした活動に力を注ぎながら、被災地を支えていきたい。

支援活動を紹介

 よみうり大手町ホールのロビーには、東日本大震災の報道写真や被災地での都市再生機構の活動を紹介するパネルが展示されたほか、動画端末も置かれ、来場者が見つめていた。ヨミウリ・オンラインでは、特別企画「震災5年~再生の歩み」を公開している。

ページトップ