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    ランニングに関するコラムやイベントの特集記事を掲載します。
    ドクター六花のランニング賛歌

    (46)50歳の新米パパ、まだまだ走り続ける

    メタボの外科医…転機はハーフマラソン

    • 1996年に“ランニングの神様”に出会った「諏訪湖マラソン」。毎年出場を続けている
      1996年に“ランニングの神様”に出会った「諏訪湖マラソン」。毎年出場を続けている

     僕は走るのが苦手な子どもでした。小学校の体育の授業、グラウンドを走る時はいつも心臓がバクバクと脈打ち、早く終わらないかとそればかり考えていました。そんな調子だったので運動会にも素敵な思い出は一切ありません。

     中学生になり野球部に入ると少し体力が付き、なんとか人並みに走れるようになったのですが、決して得意と()うほどのものではありませんでした。

     ただし、その頃からマラソンのテレビ中継を()るのは大好きで、当時全盛期だった瀬古利彦さんや宗兄弟が、世界の強豪に一歩もひけを取らずに走る姿に興奮していたものでした。

     24歳で医師になり外科医としての修業を開始してからは、体力は凋落(ちょうらく)の一途をたどりました。体重はみるみる増え29歳で93キロになった頃は、走るどころか駅の階段を上る途中でひと休みするような(すさ)まじいメタボっぷりでした。

     そんな僕に転機が訪れたのは1996年、31歳の秋でした。当時の病院仲間に誘われて渋々参加したハーフマラソン「諏訪湖マラソン」で、ボロボロになりながらも2時間20分かけてまさかの完走。ゴールに倒れ込んだ僕は苦しい意識のなかで、それまでの生涯で味わったことのない快感を覚えたのでした。

     「こんな清々(すがすが)しい世界があったんだ!!」

    “ランニングの神様”の微笑み…軽くなったココロとカラダ

    • 「長野マラソン」は16年連続完走中
      「長野マラソン」は16年連続完走中
    • ランニングドクターとしてサポートする「東京マラソン」
      ランニングドクターとしてサポートする「東京マラソン」

     それから2年ほどは走らなかったのですが、33歳の夏から走ることが僕の生活習慣として定着してきました。少しずつ走る距離を増やし、定期的にレースに出場するようになると、僕のカラダはどんどん変化をし始めました。

     体重はみるみる落ち、どこへでも軽快に走って行けるようになりました。カラダが軽くなると今度はココロの贅肉(ぜいにく)も落ち始めます。イライラすることが少なくなり、穏やかに気長に生活出来るようになったのです。

     ココロとカラダが軽くなった僕は、少しずつ人生の軌道修正を始めました。大学病院を辞し外科医を辞め、自然環境が豊かな場所で地域医療を始めました。喧騒(けんそう)から遠ざかり、建前や浮世の義理を断ち切り、本当にやりたいこと、気持ちの良いことだけを追求するような人生を始めました。

     1996年秋、僕の前で“ランニングの神様”が微笑(ほほえ)んでから、僕の人生は大きく緩やかに変化したのです。

    大会の企画運営にも参加…様々なランナーとの出会い

    • 「ニューヨークシティーマラソン」は2010年に完走
      「ニューヨークシティーマラソン」は2010年に完走
    • 樹海のレースをプロデュースする「富士山原始林トレイルラン」
      樹海のレースをプロデュースする「富士山原始林トレイルラン」

     よほど忙しいか大雨でも降らない限りは、僕は毎日走ります。春の柔らかな陽射(ひざ)しを受け、金色に耀(かがや)く湖を眺めながら。夏の熱さに汗をかき、緑色の風が吹くトレイルの上を。秋の夕焼けのなか、サクサクと落ち葉を踏みしめながら。冬の満月の下、澄んで凍りついた空気をはみながら。

     週末は様々なレースを走ります。フルマラソン、ハーフマラソン、トレイルレース、駅伝。北の国から南の国まで、この20年近くのあいだに数え切れないほどのレースを走りました。

    • 三浦雄一郎さん(左端)、鏑木毅さん(右から2人目)たちと共に大会運営に奔走した「ウルトラトレイル・マウントフジ」
      三浦雄一郎さん(左端)、鏑木毅さん(右から2人目)たちと共に大会運営に奔走した「ウルトラトレイル・マウントフジ」
    • 「富士山麓トレイルラン」は初めてプロデュースした大会
      「富士山麓トレイルラン」は初めてプロデュースした大会

     2007年からはレースプロデューサーとして、大会の企画運営にも関わるようになりました。世界の強豪が競う「ウルトラトレイル・マウントフジ」から、初心者が参加出来るレースまで、毎年のように新しいレースの立ち上げに関わらせて頂いています。

     走るようになってたくさんの仲間が出来ました。オリンピック出場経験のあるスーパーアスリートから、10キロ走るのが精一杯の週末アスリートまで、様々なランナーと知り合い一緒に走り、酒を飲み、語りました。

    「あの道はどこに…」走ることばかり考える日々

    • 富士山頂まで駆け上がる、日本一きついレース「富士登山競走」
      富士山頂まで駆け上がる、日本一きついレース「富士登山競走」

     この20年近く“走る“ことが常に僕の根底にありました。ひたすら走っているうちに気が付くと50歳になりましたが、まだまだ走り続けられそうです。

     電車に乗っていると、窓の外の景色がいつも気になります。

     「あの道はどこにつながっているのだろう?」

     「今見えた、緑が多い公園を走ってみたいな」

     「この海沿いのロードを走りたい!」

     「あの山の稜線(りょうせん)には、走れるトレイルがあるのかな?」

     気が付くといつも走ることばかり考えています。

    「早く一緒に走りたいな」…双子との夢へ駆ける

     先日、双子(男女)の子どもが生まれ、僕は50歳で父親になりました。

     「早くコイツらと山に行きたいな。そして一緒に走りたいな」

     子どもの寝顔を見ているといつもそう思います。

    • 2002年に富士山麓に移住。これからも走り続ける
      2002年に富士山麓に移住。これからも走り続ける

     これからも僕は走り続けます。走ってみたい街、山、レースがたくさんあります。一生かけても走り切れないだろう夢がたくさんあります。

     どこかで走っている姿を見かけたら声を掛けて下さい。お目に掛かれるのを(たの)しみにしています。

     長い間ご愛読頂き、ありがとうございました。(終わり)

    2015年03月27日 08時30分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
    
    プロフィル
    福田六花 (ふくだ・りっか
     1965年2月24日、東京都生まれ。医師、ミュージシャン、ランナー。大学卒業後、外科医として勤務するうち、ストレスと暴飲暴食から93キロまで体重を増やす。31歳でランニングに夢中になり、30キロ以上のダイエットに成功。ランニングライフを極めるため、2002年に富士山麓の山梨県富士河口湖町に移住。現在は介護老人保健施設「はまなす」施設長(同町)をつとめ、マラソン、トレイルレースなど年間30レースに出場。レースのプロデュースや専門誌での連載などランニングの普及に力を注ぐ。フルマラソンのベストタイムは3時間06分01秒(2014別府大分マラソン)。 オフィシャルサイトはこちら。
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