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    アウトドア・エッセイスト・木村東吉さんがランニングに関する名著を紹介します。
    連載の終わりに

    (上)「平等」と「苦行」と「喜び」の蓄積

     とても残念なことだが、この「RUN」のコンテンツが3月いっぱいで終了するという。よって、この「走るを読む」の連載もこの回を()って最終回となる。ということで、今回はいつもの書評ではなく、ボク自身が「走る」ことについて、常日頃、(おも)いを巡らせていることを(つづ)ってみたいと思う。

    • 朝陽(あさひ)とともに走る幸せ。肉体より精神に作用する
      朝陽(あさひ)とともに走る幸せ。肉体より精神に作用する

     「走る」ということが一過性のブームではなく、日本の社会にしっかりと根付いたことは、日本全国各地で開催されているマラソン大会の数、その参加者の数などに(かんが)みれば充分に証明されたと感じるが、決してスポーツ専門のサイトではなく、この「YOMIURI ONLINE」で「RUN」というコンテンツが展開されたことも、少なからずその助力になったと信じている。

     各界の著名人が走っていることによって得られる素晴らしいライフスタイル、可愛(かわい)い女性たちが頑張って走っている様子、トップランナーたちの喜びや苦悩、それに様々な人々のチャレンジなどを通じて、すでに走っている人も、走った経験のない人も、あらゆる部分で様々な影響を受けたことだろう。

     「走る」という、もっともシンプルで単調な行為が、人々の心身へ与える影響が計り知れないのは、その行為が単純だからこそ、しっかりと己の心と向き合えるからではないか。今日から走り始めた新人ランナーにとっても、30年以上走り続けているベテランランナーにとっても、走り始める時の億劫(おっくう)さや(つら)さ、走り終わった後の達成感や爽快感は、なんら変わることはなく、それは「走った」すべての人に分け隔てなく与えられるモノである。

     おそらくそれらの感覚は、他のスポーツでは決して得ることのできない感覚であろう。熟練したテクニックや特殊な装備を必要とせず、それでいて限りなく奥行きのあるランニングフォームや、シューズへのコダワリがそこに存在する。

     「走る」という行為は、あらゆる状況に()いて人々に「平等」を与え、あらゆる段階に於いて「苦行」を与え、あらゆる瞬間に於いて「喜び」を与える。

     現代社会の不安定な時代にあってこそ、その「平等」と「苦行」と「喜び」は、相対的なものではなく、絶対的な自信となって、走る人々の心の奥底に静かに蓄積されていくのである。

     そしてその蓄積された「自信」は、実生活に於いてもその力を発揮する。

     早朝の薄暗く寒い部屋でランニングウェアに着替える時、暑い夏の昼下がりに不快な汗にまみれて走り続ける時、もう一歩も歩けないほど足が痙攣(けいれん)してしまっても、その足を引きずりながら(はる)かなるゴールを目指す時……。それらを乗り越えた自信は、職場や学校での悩みを軽減してくれる。「あの時、あんだけ頑張ったじゃないか!」と激励してくれる、もう一人の自分がそこに存在するからだ。

     「走る」という行為は自分自身と向き合うことであり、自分の強さ、弱さ、優しさ、厳しさ、傲慢、謙虚といった感情に、真摯(しんし)に向き合うことである。

     それらを伝える微力になれたことは、とても誇らしいことである。

    「走る」ことは哲学

    • カラダを動かしていると、食事がより美味(おい)しくなる
      カラダを動かしていると、食事がより美味(おい)しくなる

     この「RUN」のコンテンツが開始してすぐに、「走るを語る」というインタビューコーナーで取材を受けた。それから1年後、今度はその取材を受けた同じ担当者の方から「走ることについて書かれた書籍の書評を連載してくれないか」というオファーが入った。

     どのような内容の仕事であれ、同じ担当の方から仕事の依頼を受けるのは(うれ)しい。それは最初の仕事の結果が良かったということの証しであり、満足していただいたという結果の(あらわ)れである。十代の頃からファッションモデルを生業(なりわい)としていたが、よく先輩から次のように言われた。

     「常に仕事は、次の仕事のオーディションだと思ってこなせ」

     つまりいくら売れっ子になっても、新しい仕事が次々と舞い込んできても、一つの仕事の結果を気に入って(もら)って、次の仕事へと(つな)げなければ、いつかはジリ貧になる。我々のようなフリーランスで仕事を続ける者にとっては、一回一回の仕事がすべて次の仕事の面接のようなモノである。

     だからその書評執筆の依頼はとても嬉しかった。だが、嬉しいことは嬉しいが、世の中に、そんなに「走る」ことについて書かれた本が存在するのか?

     まずはそこに不安を感じた。ところが……。さっきも言ったが、「走る」という単純な行為だからこそか、多くの人々がその時の心情を深く深く掘り下げ、実に多くの書物が存在するのだ。そしてそれらの書物を読んでいるうちに気がついたことが、「走る」人間は時として「哲学者になる」ということである。

     もちろん走っている時にはスピード、タイム、距離、心拍数といった科学的な数字が気になると思うが、少なくともフルマラソン以上の長距離走になると、それらの数字だけではなく、もっと別の次元のことを考える時間が多い。

     そのレースに挑むために自分が積み上げて来た練習を振り返り、時には満足し、時には反省し、また時にはそのレースに挑んだこと自体を後悔することもある。そしてそんな時に感じる己の強さや弱さは、自分だけが知っている真実であり、誤魔化(ごまか)すことも言い訳もできない。「蛇に()まれた」とか「蜂に刺された」とか、あるいは「大きな石を踏んで足を骨折した」とか、トップランナーたちはそういうアクシデントさえ望んで走り続けることもあるのだ。

     そのような不運(?)なアクシデントがあれば、自分がレースを投げ出すことや負けることの言い訳になるし、自分のプライドを保ったまま、その苦難から逃げることが可能だ。だが、一回でもそのような選択をすれば、一生、その選択をした自分を恥じることになり、その後悔は一生涯つきまとう。たとえ、自分以外の誰も真実に気付いていなくても――。ランナーなら、それを知っている。もちろんトップランナーでなくとも、その事実を理解している。だからこそ、そういう「逃げ」に落ちそうになる時に、自問自答を繰り返し、いつの間にか、哲学者となるのである。

     「走る」ことを趣味にしていても、そこまで自分を追い込む人は少ないかもしれない。が、少なくとも、フルマラソンを5時間切って走るランナーならば、一度は哲学者になったことがあるはずだ。

     (つづく)

     

     編集部から アウトドア・エッセイスト木村東吉さんが、“走る”ことをテーマとした名著を取り上げ、その魅力を(つづ)る「走るを読む」。昨年2月の連載開始から毎月1作品ずつ紹介してきましたが、今月で終了することになりました。ご愛読いただいた皆様、ありがとうございました。

    【走るを読む・作品リスト】

    「イート&ラン」(スコット・ジュレク)
    (上)父親の口癖だった「とにかくやるんだ」(2015年02月10日)
    (下)伝説のランナーが、やがて気付く「走る意味」(2015年02月17日)

    「ランナーのメンタルトレーニング」(ジョー・ヘンダーソン)
    (上)たとえ100人に負けても感じる達成感(2015年01月20日)
    (下)フルマラソンには2つのレースが隠れている(2015年01月27日)

    「チーム」(堂場瞬一)
    (上)「学連選抜」の選手が背負うべきモノとは(2014年12月17日)
    (下)20キロを死に物狂いで走れば、人生観は変わる(2014年12月24日)

    「ランナー」(あさのあつこ)
    (上)ランナーに必要なのは、肉体と大地だけ(2014年11月10日)
    (下)「ランナーズハイ」なんてウソっぱちだけれど(2014年11月17日)

    「走りながら考える」(為末大)
    (上)あの瞬間、なぜ全力疾走しなかったのか(2014年10月10日)
    (下)ヒトの評価を「他人軸」から「自分軸」へシフトする(2014年10月17日)

    「42.195kmの科学―マラソン『つま先着地』VS『かかと着地』」
    (上)優れたランナーが持つ3つの特質(2014年09月10日)
    (下)誰が最初に2時間の壁を破るのか?(2014年09月18日)

    「55歳からのフルマラソン」(江上剛)
    (上)経営破綻に苦しむ銀行マン、アスリートへ変貌(2014年08月11日)
    (下)走ることで手に入れたまったく別の人生(2014年08月18日)

    ウルトラマラソンマン(ディーン・カーナゼス)
    (上)足で走ろうと思うな。ハートで走れ(2014年07月11日)
    (下)最高のモチベーションは「愛」である(2014年07月18日)

    「走る意味~命を救うランニング」(金哲彦)
    (上)運命を切り開いたカリスマ指導者(2014年06月12日)
    (下)死の恐怖を乗り越えた先の「走る喜び」(2014年06月19日)

    「風が強く吹いている」(三浦しをん)
    (上)ボロアパートの住人、箱根を目指す!(2014年05月09日)
    (下)1位になろうとも、自分に負ければ勝利ではない(2014年05月22日)

    「BORN TO RUN」(クリストファー・マクドゥーガル)
    (上)人間が走る意味を根源から問いかける(2014年04月10日)
    (下)ハイテクシューズと現代文明への警鐘(2014年04月17日)

    「速い男に賭けろ」(トム・マクナブ)
    (上)己の人生をフットレースに賭けた男たち(2014年03月13日)
    (下)君は自分自身の能力を何に賭けるのか?(2014年03月20日)

    「走ることについて語るときに僕の語ること」(村上春樹)
    (上)職業作家のシリアスな「走る自分史」(2014年02月13日)
    (下)すべてのランナーに贈る言葉(2014年02月19日)

    【走るを語る】木村東吉さん

    (1)ワラーチで500キロ(2013年04月01日)
    (2)原点は中学時代の大恋愛(2013年04月04日)
    (3)朝の日課は仲間たちと(2013年04月08日)
    (4)走ることは生きること(2013年04月10日)

     

    筆者プロフィル
    木村東吉
    (きむら・とうきち)
     1958年、大阪府生まれ。20歳代はファッションモデルとして雑誌「ポパイ」等で活躍。30歳代になってからアウトドア関連の著書を多数執筆。現在は、富士五湖の一つ、河口湖を拠点として執筆、取材、キャンプ教室の指導、企業CM、雑誌モデル等、幅広く活動している。アドベンチャー・レースの草分けとしても知られ、92年には世界一過酷と言われる「レイド・ゴロワーズ」に初の日本人リーダーとして参加。数多くのアドベンチャー・レースのコースディレクターも務めている。豊富なランニング経験を生かし、2006年には女性誌の企画で40歳代の読者モデル6人を指導し、全員ホノルルマラソンを完走させた。近年は「ワラーチ」を履いて長距離を走っている。
    2015年03月11日 09時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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