世界陸上に挑む

王者 ボルト

 
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制作・著作 読売新聞

世界選手権ロンドン大会後の引退を表明したボルト。
大会を前に「状態は100%だ」。
最後も勝って花道を飾る自信を示した。
メダル獲得はならなかったが、
ファンからは大きな拍手が送られた。

大会を前に、「自信満々でなければ世界選手権には出てこられない。すなわち準備万全だということ」

世界選手権、100m決勝。最後に胸を突きだしたが、届かず。3位に終わった=鈴木毅彦撮影

3位に終わるも、ポーズを決めて歓声にこたえるボルト=鈴木毅彦撮影

世界選手権、男子400mリレー決勝。アンカーとして走るも、脚を痛め、顔をゆがめる=鈴木毅彦撮影

世界選手権、男子400mリレー決勝。脚を痛めてうずくまる=吉野拓也撮影

陸上世界選手権で行われた引退セレモニー。トラックにひざまずく=鈴木毅彦撮影

引退セレモニーで観客と握手をする=鈴木毅彦撮影

ボルトの伝説の始まりは、2008年の北京オリンピックだった。


北京オリンピック、100m決勝、自身が持つ世界記録を0秒03更新する9秒69、この種目ジャマイカ勢初の金メダルに。2008年8月16日撮影

北京オリンピック、200m。19秒30の世界新で優勝。2008年8月20日撮影

北京オリンピック。100m、200mとも世界新での勝利だった。2008年8月20日撮影

世界選手権ベルリン大会。100mで9秒58、200mも19秒19の世界新で優勝。2009年8月20日撮影

韓国・大邱(テグ)での世界選手権。
フライングによる失格を経験。

世界選手権大邱大会。100m連覇を狙ったが、フライングで失格した。2011年8月28日撮影

世界選手権大邱大会。200m予選は安全なスタートから、スムーズな加速でボルトらしい走りを見せた。2011年9月2日撮影

世界選手権大邱大会、200mで優勝。報道陣にカメラを向けておどける。2011年9月3日撮影

世界記録保持者、ウサイン・ボルト。ジャマイカで経営するレストランには「9秒58」「19秒19」の世界記録が。2012年6月27日撮影

ロンドンオリンピック。
国内選考会で2位に終わるなど直前まで絶不調。
前年の世界選手権でフライング失格した影響を拭えず、スタートの遅さは深刻。
加えて背骨が横に曲がる持病「脊柱側湾症」に悩まされたが、筋力を鍛えて克服した。

ロンドンオリンピック100mで優勝し、2連覇。「まだ200mがある。俺を『生きる伝説』と呼ぶのはちょっとだけ早いよ」。2012年8月5日撮影

ロンドンオリンピック。100mに続き、200mも制して2冠を達成し「俺は生きる伝説になった」。2012年8月9日撮影

ロンドン五輪の頃から、圧倒的な強さを見せられなくなったが、選手として一回り大きくなった

ネットオークションで落札された限定1台・金色の「GTーR」とボルト選手。2012年10月11日撮影

世界選手権モスクワ大会。200mで優勝し、ポーズを決めて喜びを表現。3連覇を飾った。五輪を含めると世界大会5連覇。2013年8月17日撮影

世界選手権モスクワ大会、400mリレー決勝。最終走者のボルト(右から4人目)は100m、200mと合わせ、3冠を達成した。左端は日本の飯塚翔太。2013年8月18日撮影

世界選手権北京大会、100m。スタート後につまずいたが、逆転優勝。2015年8月24日撮影

世界選手権北京大会。200mで優勝して観客にサイン。世界陸上同種目の4連覇、2大会連続2冠を達成した。2015年8月27日撮影

「目標は引退までNo.1でいることだ」
北京で開かれた世界選手権で、ボルトは言った。
左足の故障で、「ボルト伝説」の終焉(しゅうえん)を予想する関係者もいたこの大会。
100mではライバル、ガトリンとの差はわずか0秒01だった。

リオデジャネイロ・オリンピック。記者会見で軽快にサンバを踊る。2016年8月8日撮影

リオ・オリンピック、100mで優勝。この種目史上初の3連覇。スタートで差をつけられても慌てず、ゴール前でとらえた。2016年8月14日撮影

リオ・オリンピック。200m予選を走る。2016年8月16日撮影

リオ・オリンピック。400mリレー決勝。跳び上がって喜ぶ。2016年8月19日撮影

2017年夏、世界選手権でラストランに臨んだボルト。引退セレモニーで観客と握手をする

【撮影】読売新聞写真部、【制作】読売新聞メディア局編集部
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