東日本大震災から間もなく7年

再生の歩み 息子を忘れないで

 
YOMIURI ONLINE 読売プレミアム
制作・著作 読売新聞
 東日本大震災の発生から間もなく7年。大切な人を失った家 族の心の葛藤は、今も続いている。  津波で行員ら12人が死亡・行方不明となった宮城県女川町 の七十七銀行女川支店。昨年9月、JR女川駅近くに新店舗が 完成し、営業が始まった。真新しい支店の外観と、「便利にな る」と喜ぶ町民の姿が映し出されるテレビニュースを、同県大 崎市の田村弘美さん(55)は一人、自宅で見ていた。「そこ に健太もいたはずなのに……」。仏壇の遺品の名刺に目をやっ た。  2011年3月11日。長男の健太さん(当時25歳)は赴 任先の同支店で、激しい揺れに襲われた。上司の指示で屋上に 避難したが、建物ごと津波にのまれた。遺体は半年後、女川湾 で見つかった。  翌年、壊れた支店の建物が撤去された。弘美さんは「健太の ことが忘れられてしまう」と、跡地に花のプランターを二つ置 いた。そして、訪れる人に声をかけては、あの日、支店で起き たことを語り伝えるようになった。  毎週末、車で約1時間かけて女川に通い、夫の孝行さん(5 7)と共に語り部を続けている。遺体が見つかった9月26日 にも欠かさず訪れ、海に花を投げる。「ここに来ると、健太を 近くに感じられる」  プランターを置き、語り部になってから、女川の風景はずい ぶんと変わった。商店街も活気を取り戻しつつあるように見え る。  しかし、弘美さんのわだかまりは消えない。屋上ではなく、 近くの高台に逃げていれば――。「私がこの悲劇を伝えること が、未来の命を救うことになると思う。健太も応援してくれて いるはず」。それが残された母の務めと信じている。 (写真・関口寛人、文・梶彩夏)

6年半前、この海で田村健太さんは見つかった。26歳になる誕生日の1週間後だった。「こんな海にひとりで、寒かっただろうに、つらかっただろうに。何もできなくてごめんね」。母の弘美さんが花束を海に投げ入れると、瞳から涙がこぼれ落ちた(2017年9月26日、宮城県女川町で)

「銀行であったことを伝えるのが、健太の命を生かすことにつながる」。つらい思いを抱えながら、両親の孝行さん(中央)、弘美さん(右)は毎週のように女川町を訪れ、語り部を続ける(1月14日)

大切に保管されている田村健太さんの遺品の数々、母の心を締めつける(1月19日、宮城県大崎市で)

震災から7回目の盆の入り、銀行跡地近くの慰霊碑で迎え火をともした。ろうそくの炎に、かなわぬ願いが浮かび上がった(2017年8月13日、女川町で)

健太さんが犠牲になった七十七銀行女川支店新店舗の営業開始を伝えるニュースを自宅で見つめる弘美さん(2017年9月4日、宮城県大崎市で)

1月の月命日に七十七銀行女川支店敷地内に建立された慰霊碑。ひっそりにたたずむ碑には、弘美さんが望んだ犠牲者の名前は刻まれなかった(1月24日、宮城県女川町で)

いまだ家族の元へ戻れない行員らは8人――。小雨の降る中、海上保安庁による捜索を他の遺族と見守る田村弘美さん(右)(2017年10月3日、宮城県女川町で)

震災から4度目の3月11日、長男・健太さん(当時25)を弔うため他の遺族らとともに船に乗り込む田村弘美さん(中央)(2015年3月11日、宮城県女川町で) 

田村健太さん32歳の誕生日、一家だんらんのテーブルには健太さんが生前座っていた席に、好きだったミートソースのパスタやケーキが並んだ(2017年9月19日、宮城県大崎市で)

田村健太さん32歳の誕生日、父・孝行さんは注いだビールを仏前に供え、小さく乾杯した(2017年9月19日、宮城県大崎市で)

震災から間もなく7年、七十七銀行女川支店があった場所はかさ上げされ、現在も復興工事が進む。年の瀬の慰霊碑は、弘美さんらが取り付けたクリスマス飾りの光は、新設された道路を行き交うヘッドライトにのみ込まれた(2017年12月22日、宮城県女川町で)

震災から7年間、田村弘美さんは銀行とのやり取りや時々の思いなどをノートに記録し続けている。その数は6冊を超えた(1月19日、宮城県大崎市で)

【撮影】読売新聞写真部 関口寛人【制作】読売新聞メディア局編集部
YOMIURI ONLINE  読売プレミアム
Copyright (C) The Yomiuri Shimbun.
今回取り上げた写真の一部は、「よみうり報知写真館」で購入できます