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大記録への軌跡

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制作・著作 読売新聞

2016年、2つの大記録を達成した。
大リーグ歴代最多記録を超える、日米通算4257安打。
そして、大リーグ通算3000安打。

そんなイチローも、高校時代からヒーローだったわけではない

第63回選抜高校野球大会1回戦、松商学園-愛工大名電。松商学園を3点に抑えたが惜しくも敗れた愛工大名電の鈴木一朗投手(1991年3月29日、阪神甲子園球場で)

9回、鈴木(背番号1)が一塁ゴロに倒れゲームセット、天を仰ぐ(1991年3月29日、阪神甲子園球場で)

整列する愛工大名電ナイン(右端は鈴木投手)(1991年3月29日、阪神甲子園球場で)

第73回全国高校野球選手権愛知大会準々決勝、愛工大名電-中京。鈴木が2ラン(1991年7月29日、熱田球場で)

1992年、愛工大名電高からドラフト4位でオリックスに入団

「バットコントロールは文句なかった。体さえできれば十分通用する」「4、5年でレギュラーを争う素材」。プロのスカウトは、打者としての素質を見抜いていた

読売新聞紙面で初めてイチローが大きく登場したのは、1993年8月。「二軍の大物」として紹介された

1994年、登録名を「イチロー」とし、一軍に定着。そして、その年・・・

1994年、プロ野球史上初のシーズン200安打達成

記念のプレートを手にファンに応える。「本当にうれしい。ホッとした」(1994年9月20日、グリーンスタジアム神戸で)

1995年、パ・リーグMVPのイチローと新人王の平井正史投手(グリーンスタジアム神戸で)

1996年、日本シリーズで初優勝を飾り祝勝会で樽(たる)に入る(グリーンスタジアム神戸で)

1994年MVP
「(今年の活躍は)自分じゃないみたい」
1995年MVP
「苦しみ抜いた中で、思った以上に結果を出せた。評価していただいてうれしい」
1996年MVP
「過去2年に比べ、今年はチーム全員でやったという気持ちが強い。自分だけもらっていいのか、という思いがある」

1999年、オリックスに在籍しながら、熱望していた大リーグ・マリナーズの春季キャンプに参加。オープン戦に出場したイチローの「デビュー戦」は、夕刊1面を飾った

「ここに来た本当の理由は、(大リーグで)ずっとプレーできるかどうかを見るため」

1999年、史上最速の1000安打達成(4月20日、東京ドームで)。「ああいう、集中しにくい場面で集中できたことは評価したい」。珍しく自分のバッティングを褒めた。2000年には、7年連続の首位打者に。そして・・・

2000年、メジャー挑戦を発表

3年15億円――。マリナーズは日本人最高打者にふさわしい破格の待遇でイチローを迎え入れた

「これで夢を達成したとは思わない。シーズンを通してグラウンドに立って、初めて達成されると思う」

2001年4月2日、セーフコフィールドでのメジャーデビュー戦で初安打。「一生忘れることのできない日になった。今までの喜びと質が全然違う」

大リーグ挑戦1年目。新人最多安打記録を90年ぶりに更新し、打率3割5分で首位打者に輝いた。アメリカン・リーグのMVP、最優秀新人賞(新人王)、盗塁王、ゴールドグラブ賞も受賞した

「ありきたりの選手でいることはできない。ファンも喜ばせるとともに、味方や相手の選手も楽しませる選手にならなくては」

2004年、日米通算2000安打を達成(5月21日、セーフコフィールドで)。一塁ベース上に立ったイチローにスタンドから惜しみない拍手が送られた。「驚いた。日本の実績はたかが日本のものじゃないかという見方もあると思う。それがきょう、ああいう形で喜んでもらったことに感動した」

2004年、シーズン最多安打の大リーグ記録を84年ぶりに更新。ヒットの原動力は「野球が好きということ」。この年、262安打を放った

大記録に、弓子夫人のコメントも紙面を飾った(2004年10月4日付紙面より)

2007年、米球宴史上初のランニング本塁打など、3打数3安打2打点の活躍(7月10日、AT&Tパークで)。日本人選手として初めてMVP(最優秀選手)に選ばれ、夕刊1面を飾った

「競争の世界に生きている者として、僕はナンバーワンになりたい」。 2009年、日米通算3086安打をマークして張本勲氏(右)が持つ日本プロ野球記録を更新(4月16日、セーフコフィールドで)。「頂に上がったときの景色は、すごく晴れやかな、いい景色でした」

2009年、大リーグ史上初となる9年連続シーズン200安打を達成(9月13日、レンジャーズボールパークで)。108年ぶりの記録更新だった。

マリナーズの中心選手として11年余り

2012年7月、大リーグ屈指の名門ヤンキースに電撃移籍を発表

自らトレードを希望したことを明らかにし、「マリナーズのユニホームを脱ぐのは難しい決断だったが、環境を変えて刺激を求めたい気持ちになった」。こだわり続けたシーズン200安打は、11年目に途切れていた。覚悟の挑戦だった

その年、11年ぶり出場のプレーオフでも全試合に上位打線で先発出場。刺激を力に変え、完全復活した姿を見せつけた

2013年、日米通算4000安打を達成した(8月21日、ヤンキースタジアムで)。試合後、観客の声援に応え、笑顔を見せた

2015年、大リーグのマーリンズと1年契約。「選手として必要としてもらえることが何よりも大切で、大きな原動力になる」

2015年、打率は2割2分9厘と低迷したが、控え外野手として153試合に出場。「自分の数字は目を疑うものだったが、できたことはたくさんある」。チーム最終戦では、投手としてメジャー初登板した

2016年、日米通算4257安打をマーク(6月15日、ペトコパークで)。ピート・ローズ氏の持つ大リーグ歴代最多記録を超えた。後日、マーリンズパークでのセレモニーで、記録超えを達成した二塁打で踏んだサンディエゴの球場のセカンドベースを受け取った

2016年、ロッキーズ戦で右翼越えの三塁打を放ち、大リーグ通算3000安打を達成(8月7日、米コロラド州デンバーで)。3000安打は、大リーグ史上30人目の快挙だ。

「僕は子供の頃から、人に笑われてきたことを常に達成してきているという自負はある

小学生の頃に毎日野球を練習して、
近所の人から『あいつ、プロ野球選手にでもなるのか』と笑われた。
アメリカに行く時も『首位打者になってみたい』と言って笑われた」
(日米通算4257安打をマークした後の会見で)

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