戦後70年に学ぶ

「9の日」平和への意志

YOMIURI ONLINE 読売プレミアム
制作・著作 読売新聞

長崎に原爆が投下され、多くの命が奪われた1945年8月9日。その月命日である「きゅうのひ」(9の日)は、長崎の被爆者や家族、そして長崎に心を寄せる人々にとって、特別な思いをもって受け止められてきた。自宅で、教会で、学校で、街頭で、祈りをささげ、平和を求めて声を上げる。 それぞれの「きゅうのひ」を語ってもらった。

「悲惨な光景が頭から離れません。原爆も戦争も二度とあってはいけない」と話す森山君子さん(97)(長崎市の恵の丘長崎原爆ホームで)

登下校時、長崎市城山町の城山小の児童や教職員たちは、少年平和像に平和への願いを込めてあいさつする

1400人あまりの児童、教師が犠牲になった長崎市城山町の城山小では毎月9日、平和祈念式が行われる

長崎市の平和公園から臨む浦上天主堂

「9日は決して忘れない。忘れたら姉から、ごつんと怒られますからね」。姉・千鶴子さんを原爆で亡くした深堀好敏さん(86)(長崎市・浦上天主堂で)

浦上天主堂内に刻まれた、原爆の犠牲になった深堀さんの姉、千鶴子さんの名前

「平和の鐘を一緒に鳴らしませんか」通りかかる人たちに呼びかけると、被爆2世の野口伸一さん(68)は1分間、鐘を鳴らし続けた(長崎市の平和公園で)

「平和の鐘を一緒に鳴らしませんか」通りかかる人たちに呼びかけると、被爆2世の野口伸一さん(68)は1分間、鐘を鳴らし続けた(長崎市の平和公園で)

北九州市の「太鼓と平和を考える学生連絡協議会」は、「平和の駅」と名づけた組み立てテントを携え学校などを巡回、平和学習をする。(北九州市小倉南区で)

400回を迎えた、座り込みをして核兵器廃絶を訴える人たち(長崎市の平和公園で)

「今の自分には、座り込みをして、体験を話すことしかできない」と話す田中安次郎さん(73)=左端=(長崎市の平和公園で)

「一言でもいい。原爆を体験した者の声を伝えたい」と話す早崎猪之助さん(84) (長崎市の平和公園で)

平和公園に掲げられたメッセージ

「人はおろかなもの。戦いは繰り返されるでしょう。それでも、この体験は子や孫に伝えなければ」と話す楠達也さん(76)(長崎市岡町の原子爆弾無縁死没者追悼祈念堂で)

「人はおろかなもの。戦いは繰り返されるでしょう。それでも、この体験は子や孫に伝えなければ」と話す楠達也さん(76)(長崎市岡町の原子爆弾無縁死没者追悼祈念堂で)

「戦争の苦しみを伝えた人たちがいたからこそ、今の平和があるんです」。街頭で署名を集めてきた高橋恵子さん(64)(福岡市のJR博多駅前で)

「食べるものも、必要なものも何にもない。あるのはみじめな日々だけ、それが戦争よ」と話す山下ツルヨさん(87)(長崎市の平和公園で)

「食べるものも、必要なものも何にもない。あるのはみじめな日々だけ、それが戦争よ」と話す山下ツルヨさん(87)(長崎市の平和公園で)

【取材・撮影】読売新聞西部本社写真部 大野博昭 貞末ヒトミ 浦上太介
YOMIURI ONLINE  読売プレミアム
Copyright (C) The Yomiuri Shimbun.
今回取り上げた写真の一部は、「よみうり報知写真館」で購入できます